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メールマガジン:カンバセイション・ピース
vol.01
2003.4.15
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はじまりはじまりのご挨拶
メールマガジン「いなむらL7通信」が終ったのが、2002年4月、
ちょうど一年前なんですね。
装いをあらたに、メールマガジン「カンバセイション・ピース」がはじま
りました。
配信は、はりきって月2回(15日,30日予定)。
でも、もうすでに、一回目作り終えた段階で月2回ってだれが決めたっけ、
無理だったら、時々お休み月なんてつくろうかと、ほさかとけいとはひそ
ひそ話し合っていますが、時間と決まりごとだけには、非常にきびしい
がぶん@@はたぶん、飽きるまでやり抜くと思います。
名前はもちろん、保坂和志の小説からいただきましたが、みなさんはこの
意味知ってますか?
このメルマガがみなさんのカンバセイション・ピースになりますように。
ちなみに、ほさかの小説は、この秋頃、単行本になるようです。
どうぞ、よろしくお願い致します。(けいと)
◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆もくじ◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆
●特 集:保坂和志・ロングインタビュー・その1 聞き手:keito
小説「カンバセイション・ピース」について
●うらうら保板:その1(おくい・くま・ぐら・ごい)諸氏による面白トーク
●新連載エッセイ「少年ホサカ」その1:ほさかかずし
●連載「稲村月記・25」<なんで買っちゃったんだ中図鑑>:高瀬がぶん
●メルマガ版ピナンポ・VOL.01:
「釣りでもはじめようか」鉦田直来(かねだすぐる)
●新連載エッセイ「お稽古の壷 一回目」:けいと
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募集します!
・メルマガ版ピナンポ原稿:小説・エッセイ・論評・詩歌など
枚数は自由(でも1万枚とかはダメよ)
・猫遊録掲載ネコ写真jpegでお願いします(3枚まで)
・その他、なにかご意見などありましたら下記までメールを!
gabun@k-hosaka.com
保坂和志公式ホームページ<パンドラの香箱>http://www.k-hosaka.com
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□保坂和志・ロングインタビュー 聞き手:keito
けいと■ほさかさん、お疲れ様でした。
ほんと面白かった。よくここまで書いたなっていうような、正直言って、不
思議な感動があって、大変だったんじゃないかななんて思うくらい。とくに、
わたしとしては、今回5回目は読むのがなかなか進まなくて、っていうのは、
なぜか、ひとつひとつのセンテンスがとっても気になってね。それは最初か
らそうだったんだけど、思い出すとかそういうのともちょっと違っててね、
ひとつの言葉や文章から、ふっと、考えとか、思いとか、忘れていたむかし
の自分の感覚とかもそうなんだけど、それとはまた全然ちがうところで、今
までの自分じゃ思いもよらなかった考え方まで、浮かんできて、知らず知ら
ずに考えさせられてる、って感覚があって、それが、ちょこちょこあるから、
なかなか進まないのね。
でもなんか新鮮で、そういう小説ってなかなかないじゃない。
特に5回目、今回のはすごかった。
ほさか■ありがとう。そう言ってもらえるとうれしいね。あの、今度の小説はいま持っ
てる力を全部入れることができたという感じだから、「おもしろかった」っ
て言われると、素直に喜ぶことができる。
けいと■5回目(最終章)って今までの回よりもうんと長い?
ほさか■いや、ちょっとだよ。
けいと■ほんと? なんか長く感じたなーえーーと、なに話そうかな。
ほさか■いやあ、いきなり最終回の話じゃなくてさ、全体通してでいいんじゃない?
けいと■全体を通してというか、なんか、回が進むごとに進化していってる感じがし
て。5回目がほんとにすごい量で、量っていうのはね、1行1行に入ってい
るものが濃いっていう感じがしてね。
★このつづきは→ http://www.k-hosaka.com/merumagaK/vol.01/inta01.html
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□うらうら保板:その1(おくい・くま・ぐら・ごい)諸氏による面白トーク
この頃、気になること、本や映画その他もろもろについて、保板開設当時から、いろ
いろ書き込んでくれてきた4人、おくいくん、くまさん、ぐらさん、ゴイさんにちょっ
とお願いして、うらうら保板でやりとりしてもらいました。
さてさて、4人のおすすめはいかがなものでしょうか。
こちらのページへどうぞ
http://www.k-hosaka.com/merumagaK/vol.01/ura01.html
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□新連載エッセイ「少年ホサカ」その1:ほさかかずし
月刊「少年ホサカ」創刊の辞
毎月、私の子供の頃の話を書こうと思います。が、このシリーズは私=保坂和志の
個人史でもなければ、1少年の目から見た昭和史でなければ、記憶の不確かさ・曖昧
さについての考察でもないつもりです。そういうこと抜きにして、ただ面白いと思う
ことを書こうと思います。書く順番もまた思いつくままです。
第1回『キングコング対ゴジラ』論争
映画『キングコング対ゴジラ』は、私がはじめて観た怪獣映画だった。公開はたし
か昭和37年(1962年)の夏。私は長谷幼稚園の年長組だった。長谷幼稚園とい
うのは長谷観音と小さい山ひとつ隔てた場所にある光則寺というお寺が運営している
幼稚園で、当時は幼稚園とお寺が隣接しているというか渾然一体となっていた。光則
寺は日蓮上人の弟子の日ろう上人(「にちろうしょうにん」と耳からずうっと聞いて
いたので、漢字を書けないことに今、気がついた)が閉じ込められた土牢(つちろう)
が奥にあるのと、カイドウの木で有名で、このカイドウの花のことは太宰治か誰かが
小説かエッセイに書いているらしい。それにしても、私の知識はなんとまあ、いい加
減であやふやなものだろう。「少年ホサカ」は、ずうっとこの調子でいきます。それ
から光則寺は私の小説『夢のあと』(『この人の閾(いき)』所収)でも一部で有名
です。
前置きが長くなったが、『キングコング対ゴジラ』は新聞にデカデカと広告が出て、
特に、ゴジラの襲撃から日本を守るキングコングについてかなり細かく説明されてい
た。私はまだ字が読めなかったので母に読んでもらって興奮した。その興奮は幼稚園
の年長組全体で沸き起こっていて、あっという間に、「キングコングは本当にいるの
か、いないのか」という大論争に発展することとなった。つまり、映画『キングコン
グ対ゴジラ』のキングコングは本物なのか? キングコングは実在するのか? とい
う論争だ。
ゴジラの実在についてはたしか論争は起きなかった。子供の頭ではキングコングで
手一杯だったのかもしれないし、〈正義〉のキングコングの方にしか関心が向かなかっ
たのかもしれない。あるいは、それはやっぱり新聞の記事がキングコング一辺倒だっ
たことを物語っているのかもしれない。
私は〈本物派〉だった。映画に撮るんだから、いるに決まってるわけで、いないも
のを映画に撮れるはずがない。だいたい新聞にあんなに事細かく書いてあったじゃな
いか。キングコングは南の島にいて、海を渡って日本に来るのだ。思えば、ゴジラも
キングコングもまだ日本に来てないわけだけれど、いないものは撮れなくても、来て
ないものは撮れると思っていたのだろうか。我がことながら、子供の考えることは難
解だ。
しかしきっと、私が〈本物派〉だった本当の根拠は、母に新聞を読んでもらいなが
らそれを聞いていたときの興奮だったのだと思う。興奮することは本当のことなのだ。
しかし、お兄ちゃんがいる子はすでに家で知恵をつけられていた。というか、きっ
と実態はお兄ちゃんに粉砕されて、本人もあやふやなまま納得して、それを幼稚園に
持ち込んだということだったのだろう。子供が受ける教化とはそういうものだ。
〈偽物派〉は、「特撮」なんて言葉も概念も知らないまま、「キングコングなんてい
ない」と言い張った。「お兄ちゃんがいないって言った」と言ったかもしれない。し
かし、よその家のお兄ちゃんの言うことなんか、こっちには説得力がない。何しろこっ
ちは新聞に書いてあったのだ。念のため断っておくが、『キングコング対ゴジラ』は
何年ぶりかの怪獣映画だった。当然、この世にウルトラマンなんか存在しなかった。
私たちは怪獣というものに、まっく免疫がなかったのだ。
先生にも訊いた。年長組は「うめ組」で、うめ組の先生は「かわい先生」だ。かわ
い先生は女だった。三十歳ぐらいだったのだろうか。もう少し若かったのかもしれな
いが、そんな年の人の年齢なんか、子供にはわからない。たぶん、自分の母親とどっ
ちが上か下かなんてことだって考えもしなかっただろう。両派に別れた子供たちから
「いるよね」「いないよね」と真剣に言われて、「さあ、どっちでしょう。先生には
わからないわねえ」とでも答えたことは容易に想像がつく。
そのうちに一人がすごいことを言った。
「キングコングは偽物だ。あれは“ぬいぐるみ”みたいのを着てるんだ。おれ、背中
のチャックが見えたもん」
たしかタカちゃんだ。ひどいことを言うヤツだ、と子供心に思った。
いくら偽物だとしたって、背中のチャックが見えるなんて、そんな雑なことするわ
けないじゃないか。それにこの論証の仕方はあまりに即物的で、反則だ。私たちはも
う少し高度なレベルで、本物か偽物かを言い争っていたはずなのに、「背中のチャッ
ク」はないだろう。
しかし、そういう気持ちを抱きつつも、この論証はなんだか強烈だった。しかし、
それで〈本物派〉が引き下がった記憶はなく、論争の決着はつかなかった、というか、
どういう決着になったかは憶えていない。都合の悪いことは忘れるのだろうか。
しかし、「おれ、背中のチャックが見えたもん」と、タカちゃんが言ったというこ
とは、あの論争は、新聞の広告でなく、映画を観たあとに起こったものだったのかも
しれない。私自身が〈本物派〉だったかどうかも、本当のところあやしい。私が憶え
ているのはただ一つ、「背中のチャックが見えた」発言だけだ。それを私が言ったの
ではないことだけは、確かのつもりだ。
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□連載「稲村月記」<なんで買っちゃったんだ中図鑑>:高瀬がぶん
とにかくウェブページに飛んでみましょ!
http://www.k-hosaka.com/gekki/gekki25/gekki25.html
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□メルマガ版ピナンポ・VOL.01:
「釣りでもはじめようか」 鉦田直来(かねだすぐる)
ピナンポ応募原稿第一回目掲載作品は
茅ヶ崎在住の「鉦田直来(かねだすぐる)」さんの
「釣りでもはじめようか」です。
作品はこちらへ→ http://www.k-hosaka.com/merumagaK/vol.01/p-kaneda.html
(ほさかコメント)
全体として構成がルーズで、回想が、ありがちな《現在のほどよい説明》でな
く、現在に働きかけているところがいいと思いました。高校時代の部分を中心に
もっとだらしなく(?)回想をふくらませて100枚ぐらいにすることができた
ら、なかなかいい小説になるのではないかと思いました。20枚や30枚でなく
100枚というところが大事で、それくらいの量を書きたくなるくらいだった
ら、《なにか》なのです。」
(本人コメント)
私は46歳の中年サラリーマンで(すなわちほぼ保坂さんと同年代で)、昨年の6月
まで2年間ほど茅ケ崎から宇都宮まで新幹線超長距離通勤をしていましてその新幹線
の中で、ノートPCを使ってぼちぼち小説めいたものを書いていました。
送った作品もそのうちの一つです。昨年の6月からは宇都宮に単身赴任をしています
が夜は一人なので、音楽を聴いたりビデオを見たりする傍ら、相変わらずだらだらと
小説も書いています。
週末には茅ケ崎に戻り、小説は書かずに家族サービスをしています。
保坂さんの小説は愛読しています。ちなみに保坂さんを知る以前から田中小実昌さん
の小説が好きでした。
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□新連載エッセイ「お稽古の壷 一回目」:けいと
わたしは、お稽古ごとが好きだ。
子育てがひと段落すると暇になって、いろいろやりたくなるんじゃないのって思うか
もしれないけれど、このごろ急にそうなったんじゃなくて、小学校のころからそうだっ
た。そのころ、ピアノやそろばん、お習字、それにお琴や詩吟なんかもやらせてもらっ
ていたけれど、それよりもなによりも、どうしても習いたいと言って頼んでいたのが
お花とお茶。母がやっているところを見て育ったからかもしれない。
書きながら、自分でも、とっても優雅な感じ。小さな女の子がまじめな顔で、母につ
きそわれ、時間に追われながらいそいそと学校帰りにお稽古に通う姿がちょっと浮ん
できちゃうけれど、実際はそういうものじゃなかった。
そのころ住んでいた場所は北海道の片田舎の小さな町で、習い事のほとんど全てが知
合いのおじちゃんおばちゃんに教えてもらってるという風で、実際の雰囲気は、行っ
ても行かなくてもどうでもいいような緊張感のない習い方だった。母が習っていたお
茶とお花も、親戚の米屋に先生がきてやるというもので、大きな町に引っ越してから
習いはじめたお茶とお花のお稽古の雰囲気とはまったく違っていて、ほんとに、主婦
の井戸端会議に毛が生えた程度だったと思うけれど、わたしにとっては、それでも充
分にわくわくするものだった。それに、母は大人の会話にこどもが入ってくることを
妙に嫌がる人で、そういうおもしろそうなおばさん同士の世間話などの場には「来ちゃ
だめよ」といって、絶対入れてくれなかったから、なおさらだったと思う。
お習字は近所の知り合いの家だったので、月謝も払ってたんだろうかと、今考えると
疑問で、週に2.3回、ひまな時間にちょこちょこっと行って、さっと書いて帰るとい
う感じだった。
そういえば、今思い出したけど、小学校4.5年の時、朝6時から学校に行く前に「青空
剣道会」というのにも通っていて、先生はお習字の先生もやっているおじちゃんだっ
た。
わたしは、皆勤賞をとったりしてたし、けっこう筋がよかったので(実は剣道3段な
のよ)、随分かわいがられていた。でも、その2年間の練習というのは、木で作った
160センチくらいの大きな人形、(頭には面をかぶり、胴体に、不格好にタイヤがと
りつけられていて、たたかれても突かれても簡単に倒れないようになっていて、当然、
手には竹刀をにぎらされている)をひたすら、「めーん」とか「どーー」とか言って
たたきまくるという練習だった。その人形はいつも、空き地にたっていて、剣道しな
い時にみかけると、けっこう怖かった。
ところで、わたしの親はとてもものわかりがよくて、ほとんど、声をあらげて叱った
り、文句を言ったりしたことがない。わたしの記憶がないだけなので、ほんとのとこ
ろ、どうだったのかわからないけれど、親には、いつも、手のかからない子だったか
ら放っておいたら育ったとも言われていたし、勉強しろと言われたこともないし、将
来のことについてもけっこういい加減で、高校生の時、一度、芸者さんになりたいと
言った時には「からだが大きすぎるから無理かもしれないね」と言われただけで、
「じゃあ、お花の先生になる」ということで、実際、京都の池坊大学の願書を取り寄
せたこともあった。
小学校のころから、相当本気で、お花とお茶は好きだったので、中学になってやっと、
習わせてもらった時には、もううれしくてうれしくて、お茶なんて、毎日、家でお手
前の練習をしていたし、お花も自由にアレンジするものより、池坊で言うなら、立華
(りっか)のように決まりごとがうるさくあって、活けるのに2.3時間もかかるよう
なものが好きで、お稽古のない日にも、自分で花を買ってきて練習していたものだっ
た。
大学に入って、親もとを離れることになり、お稽古ごとをやめざるを得なくなった時
にはとても残念で、どうにか名前だけは残してもらい、休みの時にまとめてやるとい
うかたちをとっていた。そのころには、お花は免許皆伝で看板ももらっていたし、お
茶のほうもかなり、すすんでいたけれど、やっぱり、もちろん、そんなくらいで、極
められるような道じゃない。極めるなんて言葉を使うのもおはずかしいくらいの、道
の入り口でやめてしまった格好だ。
あれから、25年、やっとまた、お茶のお稽古をはじめることになった。
一年前、雑誌でみた一枚の写真。それは「鎌倉梅散歩」という企画で鎌倉在住の作家
が、梅が見頃な場所を探索するというものなんだけれど、そこに作家の方と一緒に登
場してたのが、今わたしが習っているお茶の家元、よしこ先生。もう、なんとも言え
ず素敵に地味な紬を着こなしてにっこり笑ってる姿を見た時には、これだ!と心に決
めた。
その作家の方とは、以前、一度だけだけど面識がある。年賀状もいただいていたので、
電話番号を調べて、思いきって電話した。
その方は面喰らったようだったけれど、こころよく、先生とのとりつぎ役をして下さ
り、無事通うことになった。
そして一年、わたしはすっかりお茶にはまってます、、ってわけでこの「お稽古の壷」
を書くことにした。
もちろん、壷の中味はお茶だけではないのよ。
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メールマガジン「カンバセイション・ピース vol.01」2003.4.15配信
発行責任者:高瀬 がぶん 編集長:けいと スーパーバイザー:保坂和志
連絡先:0467-32-4439・070-5577-9987
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