インタビュー その3 キーワードは【俳優と作家】

演技の中に見え隠れする、虚に織り込まれた実。

小説世界に創出される、実に織り込まれた虚。

演ずること、書くこと、虚であること、実であること、

そのすべてが、保坂和志の内側を通り抜けていく。
 

聞き手:春野景都



●がぶん:そういうやつだ、保坂は。ま、それはそれとして、今度は保
 坂の俳優時代の話し聞いてよ(けいと、に向かって) 

◆けいと:え! 保坂さんて、俳優なさってたんですか! 

■ほさか:ははは、それはね……。


   インタビュー その3 キーワードは【俳優と作家】

■ほさか:はい、長崎が高校二年の終わった春休みに。

◆けいと:長崎ってあのシコクの人?

■ほさか:四国? あ、「死国」ね。そう、「死国」の長崎俊一。長崎が自分で脚本書いて、監督して、カメラは樫村が撮ってそれでー。

◆けいと:高校時代ですね?

■ほさか:だから高二と高三のあいだの春休み。僕が役者で出て――。

◆けいと:どんな役ですか?

■ほさか:そういう昔作った映画って、こういう場所で口で説明するとちょっと恥ずかしいんだけど――、子供のくせにさぁ、スケこましとか流れ者が出てきたりっていうようなおかしなあれで・・・。見てない人に説明すると、ろくなイメージにならないから、長崎のためにやめておきます。と言っても、長崎がその映画を撮ったっていうのは知られてないんだよね。長崎のことに相当詳しいと思っている評論家なんかでも、「えーっ」って、意外な顔して、「俺の知らない映画があるはずない」みたいなこと言う。で、その一年後にまた、高校が終わった春休みの、三月末から四月に撮ったのが、過激派の爆弾闘争をする大学生と高校生が出てくる『25時の舞踏派』っていう映画で。え? うん、それなんかにも当然出て、それで長崎は、日芸に行ったんだけど、そこで、内藤剛志に会ったのね。僕なんかと比べて、内藤の方がぜんぜんやる気あるしさ、それでもう内藤の出現のおかげでいきなり僕はちょい役になってしまった。

●がぶん:で、内藤がスタジオパークっていうNHKの昼間の番組に出て、ゲストが内藤で、その内藤の昔の自主映画のデビュー作『貘をぶっ殺せ』っていうので、ホームレスみたいな保坂が出てきて、スッと引っ込むんだけれども、誰も気がつかないでしょ? で、内藤が「今のはですね、芥川賞作家の保坂なんですよ」って言っちゃって、それでアナウンサー「今のは保坂和志さんでいらっしゃいますか?」って、それだけなんだけどね。

■ほさか:長崎もさ、去年の始めに上映した『ドッグス』っていう映画で、桐野夏生と劇場で対談したんだけど、その『ドッグス』の中で僕が、興信所の男の役で出てるのね。久しぶりに長崎の映画に出たんだけど、それで、その時にさ、やっぱり桐野夏生のイメージも「保坂和志っていうのはもっと、あの、真面目な人なんじゃないですか」って・・・長崎が「いやぁ、ちょっと」って(笑)。で、ほかにも、長崎の映画で主演に近いチンピラ役やったことがあって、それを見たやつは本当のチンピラを連れて来たんだと思ったんだって。

◆けいと:じゃあ、けっこうたくさんの作品に出てるんですね?

■ほさか:出てる、出てる。『鉄塔武蔵野線』を撮った長尾直樹って人なんだけど、一年先輩なんだけどね、その人が僕が大学一年の時の夏休みに撮った『フェニックス号の大冒険』っていうのに出た。それともう一人ね、「倉内さん」というあんまし才能のない人がヤクザ映画を撮って、その時もチンピラ役で出てて、その二人が同じ年のPFF(ピア・フィルムフェスティバル)で選ばれたから、僕の出てる映画二本か三本、同じ年に出たんだよね。

●がぶん:あれはあれ? 『女子高生集団暴行事件』は?

■ほさか:あー、あのピンク映画? ガイラさんの。

◆けいと:え? 出てんですか、そういう映画にも。

■ほさか:はい、出てます。僕だけカラミがない(大笑)。

◆けいと:絡みたかったんですか?

■ほさか:えー、やっぱり、なんかしてみたいじゃーん。

◆けいと:まぁ、どうせ出るならそうかもしれませんね。でもとにかく、演ずるということが好きなんですね。

■ほさか:好きかって言われると・・・あのね、僕はカルチャーセンターで演劇のワークショップかなんかも企画して、人がいないと手伝ったりしたんだけど、舞台みたいなのはね、恥ずかしくてぜんぜんできないんだよね。でも映画だと、路上の撮影でもなんでも、平気でできちゃう。

◆けいと:へー、そうですか。出てた映画の中で台詞はあるんですか?

■ほさか:あるよー(怒っぽい)

◆けいと:どんな感じ? チンピラ役だったら、実際にちょっとやってみて。

■ほさか:チンピラ役だったら?(恥ずかしそうに)、いいよ別にぃ。

◆けいと:じゃあ、映画に出るようになってから何年くらいになるのかなぁ?

■ほさか:「出るようになって」って、それっきり出てないわけだから。高校二年の終わりの73年から大学生だった80年ぐらいにけっこういろいろ出たっていうことですね。

◆けいと:じゃあ、他には具体的にどんな作品に出たんですか?

■ほさか:えっと、80年に緒方明っていうね、こないだ『独立少年合唱団』っていう映画で、ベルリンで新人のグランプリ取ってきたやつがいて、あ、10月になったらお台場でやるから行ってやって。僕もパンフレットで対談してるし、あれは面白い。あ、それでその緒方が撮ったのが『東京白菜関K者』っていう、ある朝起きたら白菜になっちゃってたっていう映画で、そいつを訪ねて行く友だちの役で出た。

●がぶん:じゃ、それジャガイモかなんか?

◆けいと:えっ、それでびっくりする演技?

■ほさか:そ、「はっ、はっ、白菜だー(迫真の演技)」ってのから始まって、あれもけっこう出てんだよね。主演は白菜になった男で、顔が白菜になって走り回ってんだよね。長崎の出て、長尾さんのに出て、緒方のに出て、倉内さんのに出て、石井が一度『ザッツ宴会テイメント』っていう初期のビデオ・・・石井聡互が撮ったことがあって、坂田明と泉谷しげると僕と三人が絡んで突如宴会を始めるっていう三人組でさあ、坂田が土方で泉谷が寿司屋の職人で、僕が学生っていうので出た。

◆けいと:面白そう。

■ほさか:エレベータを開くと、そこで三人が宴会してたり、電車の中で宴会してたり、っていうのがあって、そんなのに出たかな。

◆けいと:その頃は小説は書いていないんですか?

■ほさか:いやあの、これに載ってる『揺籃』なんかは、『白菜関K者』の前に書いた。

◆けいと:『揺籃』は23才の時に書いたんですものね。ところで、高校ぐらいから小説家になろうと思っていたんですか?
■ほさか:それは高校の二年か三年の夏休みだったと思う。

◆けいと:どうして、その時にそう思ったんですか?

■ほさか:わかんない、小説読んだら面白かったからじゃない(あははは、と笑う)

◆けいと:初めて書いたのはいつですか?

■ほさか:初めて書いたのは大学五年で、大学入ったら映画のサークルだったんだけど、なんか当時の大学生はみんな小説なんか書きたいわけで、テニス部は書きたいと思わないだろうけど、映画のサークルのやつなんかみんな、小説書きたいと思ってて――。一年先輩でその人が五枚の小説かなんか書いてきてさ、で、五枚なんか小説じゃないじゃん、っていったら、いや最初は五枚とか十枚とかから始めて少しずつ長くしていくもんだっていわれて、あ、そういうのってあるんだ、とか思って、五枚くらいで書けるっていうのは、けっこう楽しくてね。大学一年から二年くらいまでは、五枚とかせいぜい二十枚くらいの短い話、いろいろ書いてた。

◆けいと:『ヒサの旋律の鳴りわたる』は、いつごろ書いたんでしたっけ? 

■ほさか:ヒサは、85年の暮れだったよね、29才。

●がぶん:前に保坂が、いま女を書くと「みっちゃん」がいるでしょ、すると、どっかで出ちゃう。そうすると、みっちゃんに怒られちゃうんじゃないかって、言ってたけど・・・・。

■ほさか:うん、みっちゃんであってもまずいし、みっちゃんでなくてもまずいよね。

●がぶん:ま、過去のことだからね、それはしょうがないよね。小説家の宿命みたいなもんだろ。

■ほさか:書いてさぁ、あの、少しでもそれに触れるまわりの人とか、身内の人とかが、不愉快になったらダメっていうのが、僕の小説以前のポリシー。

●がぶん:あー、そういうのがあるわけね。

■ほさか:だから、あの、そういうちょっとヤバくなるようなことは書かない。

◆けいと:じゃあ、ヒサはもう大丈夫ってこと?

■ほさか:大丈夫っていうか、その。

●がぶん:まだみっちゃんと知り合う前に書いたんじゃないのー?

■ほさか:いや、知り合ってから。

●がぶん:あ、そうなのー? 大胆だねぇ、君も。

■ほさか:みっちゃん読んでショックだったけどね。

◆けいと:『この人の閾』を書いた人が、『ヒサの旋律の鳴りわたる』みたいな作品も書くんだという意味で、読者としてもショックですよね。

■ほさか:解脱したんだよ、解脱。性欲からの解脱っていうのが、僕の二十代の課題だったんだから。

●がぶん:立たなくなったんじゃないのー?

■ほさか:えっ、どうとでも書いて下さい。

●がぶん:意地になって、即物的に書いたんじゃないのー?

■ほさか:いや、ほんとに、あの、二十代の僕にとっては、愛というのはセックスそのものだったんだよね。セックスには精神じゃなくて肉体しかなかったんだよね。

◆けいと:それはそうとはっきり言い切れるんですね?

■ほさか:人一倍肉体に対するこだわりはあるだろうね。精神的なものよりも、とにかくこの身体があるっていうことに対する、圧倒的なもの、うん、だから、精神とかって複雑なんだよ。俺にとってはよく分からないんだよ。

●がぶん:誰にとってだってそうだろ。

■ほさか:そうなんだよ。だからそんなとこには踏み込んじゃいけないんだよ。だから、その、精神と思われがちなものを肉体に戻すっていうのが、僕の関心なんだよ。

●がぶん:じゃあ、思われがちなものってのは、本来ないってこと?

■ほさか:もっと肉体に起源を持った――。

●がぶん:それはなに? 唯物論なの?

■ほさか:いや、唯物論とは違うんだよね。あのだから、岩波の連載の今度終わった『世界のはじまりの存在論』というのを読んでいただけるとわかる。生きているという状態は、とにかくこの肉体があるという、それになかなか気が付かないんだよ、ってことが、とにかくこだわりであるんだよね。

●がぶん:んー、まあその話はまた暇な時にでも・・・・。

◆けいと:ところで、先ほど二十代は性欲を断ち切るって言ってたけど、今はどうなの?

■ほさか:それはもう、一種の修行っていうか、いやそのかっこよく言うっていうか、大袈裟にいうと、仲良くなった女の子とはセックスしないと礼儀に反するんじゃないかと・・・・。

◆けいと:礼儀? 

■ほさか:できるできないにかかわらず、その子を好きだったら、セックスしたいって思わなきゃいけないって思ってた。今はね、そういうのはなくなったの。誰でもそう思ってるわけじゃない。それは自分の思い過ごしだって分かったけど、二十代にははっきりそう思ってた。

◆けいと:信じられない、ほんとにそう思ってたの!?(ふざけんな、このー)

●がぶん:逆に失礼だわねアンタなんか、なんて言われちゃいそう。

■ほさか:そうそうそう。

◆けいと:でも実際にしないと失礼ね、なんていう人いました? 実際にそういう人がいたから、そういうふうに考えたのかなぁ。

■ほさか:いや、いなかったんじゃない? ただ単に自分がしたい気持をそういうふうに転嫁させてたんじゃないかな?

◆けいと:でも、自分がしたいなんていうような、あるいは、考えてるような保坂さんて、小説にはぜんぜんあらわれてませんよね。

■ほさか:僕はむっつりスケベじゃないから・・・・、それにいっつもそう思ってたわけじゃなくて、そういうシチュエーションにならなければ考えないわけだから、そういうシチュエーションを書かなかったら、「やらなきゃ失礼」みたいな自分は出てこないよね。で、それから、もう一つの面で、一日中でもだらだらごろごろできる、っていう特徴があるわけで、そっちの方をメインに出してるっていうことなのかな?

◆けいと:自分のいろんな部分の中の一つ?

■ほさか:そうそう、レゲエ人生のような。

●がぶん:ほんとはもっと乱暴で、強引だなんて書いてたよな。

■ほさか:レゲエを聴いたのは二十二、三歳の頃だと思うんだけど、ボブ・マーリ−の歌詞にえらい感動したのはさ、あの、愛の辛さ、愛する辛さってのはないんだよね、レゲエの世界には。一番覚えてるのが“ぼくたちは愛し合っているから、神が、ぼくたちの寝る場所もぜんぶ提供してくれて、ぼくたちはただ、愛していけばいいんだ”なんていうのがあってさ、挫折感のない愛っていうのにただひたすら憧れていたんだよね。

◆けいと:うーん、なるほど。挫折感があったから?

■ほさか:あったからってうより、そんなのばっかりじゃない。相手がさ、気を持たせたりして、あなたのことは好きじゃなくて、こっちの人が好きよっていうタイプの子は、もう大嫌いだったのね。僕のことを好きなくせに、こっちの気持を焦らそうとかってするでしょ。焦らすっていうような態度に出る女の子ってわりといるでしょ。もう、そういう子はね、外見がどれだけよくてもね、一気に嫌いになっちゃう。

●がぶん:恋の綱引きみたいな?

■ほさか:そう、そういうの大嫌い。もっと分かりやすくしろよ、ボブ・マ−リ−みたいに、もっと分かりやすくすりゃいいじゃん。あの、男がさ、射精すると気持が冷めちゃうとかさ、そういう感じが僕にはなかったんで。

●がぶん:いつまでもどこまでも思ってんの? すごいねぇ。

■ほさか:すればするほど好き好き、っていう感じだったんで。

◆けいと:ふーん(感心感心)

■ほさか:まとにかくね、子供の頃っていうか、大学入ったころは、まわりの友だちからさ、お前は人情の機微が分からないって・・・それはもういわれ続けてきている。それは今でもみっちゃんにいわれてるからね、そういうのは。だからその、レゲエのようにだらだらしている日常生活と、そのレゲエのように焦らしたり陰影のない世界っていうのを小説にしたかったのかな。

◆けいと:そうですか。

■ほさか:特に『プレーンソング』とか書いた時には、こういう世の中が来てほしいと願って書いたわけ。さっきもいったけど、いつも現状にはあんまり関心がなくて、自分がこうなりたい、こういう世界になってほしいっていう、ことしかないんだよね、だいたいね。

◆けいと:それで読んでいると気持がいいのかもしれませんね。保坂さんの小説の中で熱い思いとか、強い願いとか、そいうのはあんまり普通は感じ取れないんじゃないかな。

■ほさか:もともとがぐちゃぐちゃしたものを断ち切りたいっていうのがあって、それでなかなか、その断ち切るようなぐちゃぐちゃしたようなのを、今までの小説の中では、わりあい出せなくて、ふっきれたやつがだらだらしているだけなんだけど、あの、『生きる歓び』では、なんか断ち切るルートを開発したような、発見したような気がするんだよね。「悩んでいる私も私であって、その悩みというものを知った時からどうのこうの」とかさ、そういうようなことは全部、子猫を見た瞬間に断ち切れるとかって感じ。そういうふうに言いたくて書いたんじゃないけども、こっちの気持はぐちゃぐちゃしたものっていうのは、現実の中にあるもので、バッと断ち切ることができるっていう、信念がこう芽生えちゃったんだよね。だから、これからはその、ぐちゃぐちゃ言う人にもっと積極的に断ち切るような態度で書くんじゃないかなと、自分では思うんだよね、そのためには、気持が変わると、ひとつひとつ、語り口とか文体とかってぜんぜん表層のものであって、もっと書きっぷりとかさ、そういうことだと思うんだけども、その書きっぷりってのを、もう一個作ってゆくっていうのはけっこう大変なことなんで。っていうか、だからね、人間が考えるときっていうのは、どうしても言語による情報の処理とか演算とかっていうのを実行しているわけなんだけどさぁ、たとえば人間の二足歩行をコンピュータで解析するとものすごくごちゃごちゃしたものになるでしょ? そういうようなごちやごちゃしたことが言語による記述にはつきまとうわけなんだけど、本当はそうじゃなくて、もっとずっと直観的っていうか、ストレートに世界そのものがあらわれて、記述する必要なんかないようなことがあったり、人間の思考自体もじつは言語以前の肉体に起源を持ってるところがあるわけだから、ぐちゃぐちゃするかもしれないようなことを、とんでもなく別のアプローチで断ち切ることができるんじゃないか。そういうことって、小説がじつは一番むいてるんじゃないかって。

●がぶん:(なにいってんだかもう保坂は・・・・)ねぇ、景都ん家に、猫見に行こう!

■ほさか:うん、ちょうど終わったとこだし。

◆けいと:そうしましょ(どこが終わっとんじゃい!)

                以上
 


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