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絵画における人物像の表現性について、、たしかこんなようなものだったと思うのだが、、わたしが書いた大学の卒論の題名で、今考えるとよくもまあ専門的に美術を勉強してたわけでもないくせにこういう題材を選んだものかと自分でも驚いてしまう。
これは「左右性に関する考察」という副題もついていて、画家の生い立ちやら性格、画風などから絵に映し出された表現性を、その頃流行りはじめた脳と身体の左右性にからめて考察するというとんでもなくひとりよがりな展開で書きすすめた、ほんとに今考えてもおそろしいほど恥ずかしい論文だったと思う。でも、そのころから、たぶん絵そのものの世界というより、絵が映し出すもっと画家に近寄った世界に興味があったのかもしれない。いったいこの画家はどうしてこういう絵を書くようになったのだろうか、モジリアニが首の長い女性の絵を好んで描くのは、自身が気管支をわずらっていたことからくる憧憬の表れでとか、モジリアニが聞いたらほっといてくれと言いいそうだが、それでも、気になる絵というのはそんな読みをしたくなるような様々な誘惑がある。 宮さんのことは20年ほど前から絵と名前だけは知っていた。そのころわたしがつきあってた彼氏の母親と同じ出版社に勤めていて、絵描きさんと呼ばれている人達の中に彼女がいた。そのころの宮さんの印象は、男に媚びない女。彼氏の母親から、特に具体的なうわさを聞いていたわけではないのだが、名前だけで知る大勢の絵描きさんの中で、彼女はなぜか妙に気になる存在で、たわいもない情報や時折見かけた写真を総合して、そのころの私の頭の中にはそんな宮さん像ができあがっていた。実は数年前、偶然、「パルテノン多摩」ホールに飾ってあった彼女の絵を見る機会があった。「NORTH(北方)」という題名で女性が描かれた絵だったのだが、その絵にはなんとも言えないひっそりとなにか語りかけてくるような雰囲気があって、特に女性の顔の表情が頭にやきついた。それでも、彼女とは何の接点もないままで、私の想像は膨らむだけ膨らんで、今回はじめて会うという時、不思議な親近感でわくわくしていた。 実際、魅力的な人だった。20年前のわたしの想像の中の印象は全くたしかなもので、男に媚びないということは、そのまま金や権力に迎合しない潔い強さと庇護されることに甘んじない清冽なプライドに通じていて、結婚して母親となっても、まるで独り身のようなすっとした女性だった。画家になろうとしたきっかけは?という問いに、彼女は子ども時代の話から始めてくれた。登校拒否児だった自分の気持をよく覚えていると言う。小学校に行きたくない気持ちと、なにがいやなのかわからないという気持ち、家にいるほうが好きなことと学校に通わなければいけないことにどう折り合いをつければいいのか、どう表現すればいいのか幼心に一生懸命考えていた。それでも、一年生の途中で私立に転入。しかし、そこでも、ひとりのシスターと決定的に合わず、結局おなじような状態に。今でも、思い出す情景があって、それは、学校に呼ばれシスターと話しながら泣いている母の姿、というよりも、浮んでくるのは母のアイスグレーのタイトスカートの上にぽたぽたと落ちる涙の雫。つらい子ども時代だったから、自分の子どもがつまづいたら「今、辛くても、大人になったら、ずっと楽になるから、絶対、途中で死んじゃダメだよ」と言ってあげたいと言う。
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「木馬」2001年
「ふたり」2000年
「双子座」1999年 (文化庁所蔵)
「トランポリン」2000年
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