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◆◇◆ メールマガジン【いなむらL7通信】 第13号
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2002/3/20 vol.13
やー、春。
今年は桜前線がものすごーい速さで突っ走ってますね。
たぶんこのメルマガが配信される頃には、
かなり北の方まで開花宣言がなされているのではないでしょうか。
ところで、あんまり聞いたことないけど、
桜花粉症っていうのはあるんでしょうか?
さて、鎌倉山の夜桜でも見に行きますか。
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■■■ 芥川賞作家・保坂和志公式ホームページ ■■■
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★☆★----------もくじ--------------------------------------------★☆★
■特集・松永耳庵展に行く(けいと・黒い犬・めざ)。
■連載【小説論番外篇】vol.13
「情報群と情報群を高次のレベルで結び付けること」保坂和志
■ゲスト劇場・第十回 へなちょこ研究者の日常3「春をむかえる」 by/よ
■今月の【わたしのオススメ】(オススメ人)
◆音楽:キリンジ「Fine」2001.11.21
ワーナー・ミュージックジャパン(ぐら)
◆映画:「素敵な歌と船はゆく」オタール・イオセリアーニ監督 (チイ)
◆果物(?):【アボカド・その2】 (ミメイ)
■「稲村月記」vol.11 「ここを過ぎて悲しみの市」の巻 高瀬がぶん
■連載【興味津々浦々】vol.12「ジャパニーズ・ガウンの巻(11)」春野景都
■保坂和志が選ぶ・今月の【保板の殿堂入り】
■編集後記
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◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆今月の特集◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
【松永耳庵展に行く】(けいと・黒い犬・めざ)
2/19から3/24まで上野の東京国立博物館で催されている「松永耳庵コレクション
展」に、掲示保板によくきてくれる、黒い犬さん、めざさんと一緒に行ってきま
した。
◆◇◆この続きは参照写真付きの、以下のWEBページでお楽しみ下さい◆◇◆
http://www.k-hosaka.com/inamura7/ji/ji.html
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■連載【小説論番外篇】vol.13
「情報群と情報群を高次のレベルで結び付けること」 保坂和志
前回、私は「人間の脳というのは、もしかして、暗算したり、漢字を覚えた
り、英語のスペリングを覚えたり、歴史の年代を覚えたり……という、一見もの
すごく鈍臭いことを積み重ねていかないと鍛えられないものなのではないか?」
と書いたけれど、「文章を暗記する」という大事なことを忘れていた。私自身、
中学で英語のテキストを暗記させられたことぐらいしか文章丸暗記の経験がなく
て、この例が出てこなかったが、昔の教育では「文章丸暗記」というのが少なか
らずあって、いまでも外国ではそういう教育をしているところがけっこうあるら
しい。
日本の教育は「文章丸暗記」というと、そこで止まってしまって、それを強制
された生徒の側は、何故こんなことさせられのかわからないのだが(つまり強制
する先生がその意味をわかっていないから生徒に理解させられないということな
のだか)、言語とは本質的に外部から与えられたものであるということを実感さ
せるためにも、教養を身につけさせることによって教養に対して敬意を払うよう
にさせるためにも、「文章丸暗記」は必要だと、最近思うようになってきた。。
日本人は「春は曙。やうやう白くなりゆく山際……」とか「我が輩は猫である。
名前はまだない」とか、本当にほんの少ししか、文章が出てこない。それではシ
ェイクスピアでもフォークナーでも、うーん、と、あと誰だろう? とにかく、
外国の文学は本当はわからない。
でも、それ以上に大切なことは、前回の宮台真司の引用にもあるように、そう
いう風にして、頭にいっぱい情報を詰め込まないと本来の“主体”が醸成されな
い、ということで、主体とはもともとあるわけではなくて、教育を経て育つ。い
まみたいに“個性”を大事にして、記憶に強引に働きかける授業をしないでいる
と、じつは“主体”が育たない。――なんてことばっかり力説していると、右派
と間違えられかねないんだけど、まあ、そういうことを、すぐにイデオロギーや
政治的立場に大まかに括ってしまう人にいちいち注釈していても時間の無駄なの
で、先に進むことにします。
ここで一番重要なのは、前回の終わりに書いた「『情報群』と『情報群』を一
段高次のメタレベルで結び付ける」ということだ。これは「文章丸暗記」によっ
て育つ能力の変形として、この訓練の先に生まれる能力なのではないかと思う。
単語レベルの知識を記憶するのは全然手間ではない。当然、それを調べるのも
手間ではない。しかし、概念となると手間はググッと増える。
「存在」というのを単語として理解するのは、ただ「あること」程度の意味だか
ら、パラパラッと辞書を引けば終わってしまうけれど、「存在」という“概念”
がどういうものか? と知るためには、本一冊読まなければならない。あるい
は、「哲学思想事典」のようなもので調べてみても、「存在」を引くと、必ず「
物質」「自我」「認識」「言語」「ハイデガー」「カント」……というように参
照項が出てきて、律義に参照項を追っていくと、検索が永遠に終わらなくなって
しまう。
そして結局、概念としての「存在」がどういうことなのか、延々つづいた検索
が終わったときには、人には全然説明できなくなってしまっているけれど、それ
だけではなくて、自分でも霞か靄(もや)程度にしかイメージを持てていない。
が、この状態からしか始まらないのだと思う。読んでいる最中だけ、けっこう
わかったと思ったり、「あっ、そういうことだったんだあ」と思ったりするけれ
ど、読み終わったときには霞になっている。それを5年も10年も繰り返してい
るうちに、最初の頃より格段にピンとくるようになっている。でも、まだまだ全
然、人に説明できないし、自分でもきちんとは言葉になっていない……。
「何かを知る」「何かを理解する」というとき、私達は人間の理解のあり方を
コンピュータと同じだと思っていたのだと、最近痛感する。言語によって、対象
を解析して、それを明晰に記述する(すでにちょっと同語反復が入ってますが)
――そういうことを「理解する」と思い込んでいる。
あるいはこう言い換えてもいいかもしれない。コンピュータという機械(装
置? システム? なんでもいいけど)と人間の思考を近いものと考えた人は、
もともと「理解する」ということをその程度のことだと思っていた。または、そ
うでなければ、「コンピュータ、コンピュータ」と言っているうちに、人間の理
解の状態を、コンピュータにシミュレーション可能な状態にしたいという無意識
の願望が働き、人間の「理解する」をコンピュータ的な理解に近寄せてしまっ
た。
『羽生――21世紀の将棋』という本の中で私は、「人間がいつかコンピュー
タに負けるとしたら、それは人間が将棋の読みを、“記憶”と“計算”という、
コンピュータでもできる要素にしか還元して考えることができていないからだ」
ということを書いた。つまり、人間は自分自身が簡単に把握することのできた自
分自身の能力だけを伸ばしているということだ。では、自分自身できちんと把握
できていない能力とは何なのか? それがつまり「情報群と情報群を高次のレベ
ルで結び付けること」なのだが、このことをじつはベンヤミンはずうっと書いて
いた。そのごくごく一部を産経新聞の『見る・読む・想う』の第12回に書いた
のだが……おっと、それにしても、呆れるではないか。関係ないけど。さっき私
は右派と間違われるような教育観を書いた。そのうえさらに産経新聞なんかにも
書いているではないか。外側だけ見る単純な人が見たら、もう断然“右派”じゃ
ん。小林よしのりか西尾幹二のお友達みたいじゃん。でも、ベンヤミンは違うん
だけど。
「情報群と情報群を高次のレベルで結び付けること」に戻ります。
このイメージがいまのところ全然つかめていない人がいると思うので、この大
変さが何に似ているかと想像してみると、クラシックの交響曲の全体を憶えるよ
うな感じだと思う。「絵画は記憶しやすいけれど、音楽を憶えるのは大変だ」
と、作曲家のピエール・ブーレーズも言っていた。
私はブルックナーの交響曲の茫洋としているところが好きでわりとよく聴く(
本当は明晰で構築的なのかもしれないけど)。ただ流しているだけなんだけど、
それでも、880円の廉価盤のスクロバチェフスキー指揮のブルックナーは好き
で、歴史的名演とされているフルトベングラーの指揮の第7番は嫌いとか、ここ
とあそこがとくに好きとかいろいろなことを感じてはいる。しかし、聴き終わっ
て、すでに20回とか30回とか聴いているはずなのに、メロディなんか全然出
てこない。しかし、誰かに「これがブルックナーの交響曲第7番だよ」と言われ
て、違うのをかけられたら「違うじゃないか」とすぐにわかる。こういう知り方
・接し方もまた不思議なんだけど(「不思議」というのは、あくまで理屈で攻め
る人には理解しがたいだろうという意味だが)……。さっき「存在」について書
いたとき、じつは私は自分のブルックナーの聴き方なんかもイメージしていた。
しかし恐れ入ったことに、ちゃんとしたクラシックの聴き手は第1楽章のテー
マが何で、それがそのあとの第4楽章までとどういう関係にあるのか、なんて
ことがわかってしまう(らしい)。これが「情報群」のイメージです。
でも、またクラシックの接し方の話に戻ってしまうけど、一時期はバルトーク
の『2台のピアノと打楽器のためのソナタ』が好きでずうっとかけていたことが
あって、この曲だってやっぱり演奏時間が40分くらいあって、メロディなんて
ろくにないから、曲として思い出すことなんてできなかったけど、ある日、BS
でこの曲のコンサートをやっていたことがあって、見ていたら、2人の打楽器奏
者が次にどんな動きをするとか(この曲は打楽器も「2台」というか「2人」な
んです)、2人のピアニストが次にどの辺を叩く(弾く)とか、全部わかってし
まったことがあって、つまり当時私は、『2台の打楽器とピアノのためのソナ
タ』をじつはきっちり憶えていた! まったく言語化できなかったし、再現もで
きなかったけれど、誘導(?)されると全部できたッ! という感じ。
「情報群と情報群を高次のレベルで結び付けること」にもう一度戻ります。
「認識」とは、この、情報群を理解する(把握する?)ことらしい。感覚とか、
知覚とかで問題にされている現象は、認識以前の動物的な(?)断片で、取るに
足らない――というのがベンヤミンの思想(思想観)だと思う。そしてそれはど
うやら、ヘーゲルの思想(思想観)でもあるらしい。
これはデカルトからカントへとつづいてきた、西洋思想に対する反省らしい。
ベンヤミンは、カントは機械で計測できるようなものばかりを思考の対象とし
てしまったと言う。当然、それが科学的思考の隆盛の基盤となった。それは人
間の理解をコンピュータの理解に近寄せてしまった「理解」観と私が言ったこ
ととつながっている。
で、結局何が言いたいの? ――って、いままでさんざん言いましたが……。
私はまずここでは「理解」ということの質、様相について書いた。そのことは
小説とは直接はつながっていないと言えばつながっていないけれど、私にとって
ひとつの小説を書くというのは、書いている最中は、「一作をまるまる記憶して
おく」ということにちかい。
たとえば、『プレーンソング』でアキラ達と部屋の中にいる場面(A)、一人
でどこかにいる場面(B)、三谷さんと喫茶店にいる場面(C)、これらを楽譜
を書くように、“作者の憶え”として記号化することはできない。それは全体の
流れとして、頭の中で操作することしかできない。A―B―C―A―B―Cなの
か、A―B―A―C―A―B―Cなのか、それはそれぞれの場面を“群”として
記憶しておくことでしか判断ができない。
作者にとって、最も幸福な小説だった『プレーンソング』は、じつはそんなこ
と考えなくても、自然に、次、次、……と場面が出てきた。しかし、第2作から
はもうさんなことはなくて、いつでも全体を記憶して、「流れが、流れが……」
と考えている……。
ところで小説が“情報群”なのだとしたら、小説とはいったい何なのか。読者
にとって何であり、作者にとって何なのか。
現代小説は、描写に力を入れる、というか描写に書き手の特徴が現われる。描
写のない小説は小説ではない。たとえば『マディソン郡の橋』とか。描写は、視
覚・聴覚・触覚……のどれに重点を置くかで、その作家の特徴なり、作品の特徴
なりが出てくることになるのだが、描写をあんまり解析的にしてしまうと、早い
話が「難解」になる。“描写による物質性”とかそういうことによって、作品が
読者の水準を選ぶようになる。――これが現代文学の弊害で、エンタテインメン
ト系の作家はそういうことが全然わかっていない。そのためにただイライラし
て、純文学系と比べて自分が真っ当な評価を得ていないという気分から、『文芸
春秋』の誌上で純文学を攻撃してみたりするのだが、文学とは売り上げとか評価
とかのために(それに引きずられて)するものではなくて、ひとりひとりの前に
そびえ立つ門に入るためにするものなのですよ(『小説修業』37ページ参照の
こと)。それはともかく――。
小説が“情報群”なのだとしたら、細部が描写によって物質性を帯びたりして
しまうのは、小説としての本来の姿を逸脱してしまうことになるのではないか。
描写がレベルアップ(?)して、どんどん物質性を増して、それにつれて難解
になっていくと、「木を見て森を見ず」ではないけれど、読者は細部に注意を投
入することに労力を使い過ぎて、作品全体の像がぼやける、という事態を呼び寄
せる。クロード・シモンがその典型だ。こういう作品のあり方は(それがたいて
いねらいなのだが)、宮台真司風に言うなら非常に短期的な認識のあり方である
し、ベンヤミンからの文脈で言うなら感覚や知覚の段階での理解に終始してしま
って、読者にとって小説が“情報群”となることを拒む結果になるのではない
か。
ここで20世紀に思想の主流となった〈反・形而上学〉ということを、どのよ
うに理解しているか、という問題になるのだが、今回は時間がなくなってしまっ
た。「小説論・番外篇」としては、これ以上のことを書くのは本筋から外れるこ
とになるかもしれないとは思うけれど、肝心な「小説はどうして卑近で馬鹿馬鹿
しいことを中心に書くのか(それこそが小説なのだ!)」ということも書けない
ままになっているので、このつづきは次回書くことにします。
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■ゲスト劇場・第十回 へなちょこ研究者の日常3 「春をむかえる」 by/よ
数年ぶりに今年また始めたスキーに行きたくてしかたのないわたしの都合なん
てお構いなしに、いつのまにか季節は容赦なく進んでいたらしく、気が付けば「
春めく」という言葉を使う時期を逸してしまったんじゃないかと感じるほどに、
仙台もすっかり春めいている。
この続きは以下のURLでお楽しみ下さい。
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まぐまぐ版「いなむらL7通信」配信登録・削除ページのご案内
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にもかかわらず配信され、尚且つ、そんなもの読みたくない!、という方が
おりましたら、ごめんどうでも以下メルアドまで「よせ!」とメール下さい。
また、こちらの手違いで二重配信されている方がおりましたら、これまた誠に
申しわけございませんが、「やめろ!」と、メールにてお知らせ下さい。
gabun@k-hosaka.com 高瀬がぶん
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今月の【わたしのオススメ】(おすすめ人)
■音楽
キリンジ「Fine」2001.11.21 ワーナー・ミュージックジャパン (ぐら)
キリンジと言ってもお相撲さんじゃありません。作詞作曲もする兄弟デュオです
。まず声がすてき。それから詞が魅力的。シニカルな詞は兄・堀込高樹。俯瞰的
な視点が特徴的なのは弟の堀込泰行。今回のアルバムをずっと聴き続けているの
は5曲目の、メジャーリーグのマウンドに立つ左利きの投手の歌が聴きたいから
。タイトルはサビで繰り返される「風来坊」でも「トルネード」でもなく「ポッ
プコーン」、高く聳える内野スタンドからマウンドを見下ろしているのです。も
ちろんデイゲーム!吹きぬける風の心地よさを思い出して開幕が待ち遠しい。わ
たしがスタジアムにいることも野球の一部なのだと思えてしまうような歌なので
す。
■映画:「素敵な歌と船はゆく」オタール・イオセリアーニ監督 (チイ)
パリを舞台にたくさんの人が登場し、たくさんのエピソードが独特のテンポでス
ルスルつながったり、ちらばったり。そのつながり方が絶妙で、時に声を出して
笑ってしまったほど。こんな映画は見てるだけで楽しい。「ずっと続かないかな
ぁ」なんて観客にだけ許される特権的な言葉をついついつぶやきたくなる。
けれど後半で、主人公らしき男の子「ニコラ」(「らしき」というのは普通の映
画ほどはっきりと主人公が設定されていない)はちょっとした(?)事件に巻き
込まれ刑務所に入れられてしまう。そして何年(何ヶ月?)か後、刑務所を出て
くると彼の知っていた「パリ」はちょっとずつ変わっている。「ニコラ」もそそ
くさと田舎に引っ込む。それを見ている観客であるぼくらは世界が少しずつ変わ
ってしまったことに気づいて少しさみしかったりするけど、イオセリアーニはそ
んな観客の都合のよさに寛容でありながらもきちんと「世界はそんなもんだ」と
教えてくれる。
■果物(?):【アボカド・その2】 (ミメイ)
「で、アボカドって野菜? それとも果物?」そう問うと、八百屋の兄さんは目
を泳がせた。「そ、そりゃ、森のバターっていうくらいで脂質が20%もあるけ
ど不飽和脂肪だからコレステロールはなくて、食物繊維も豊富だし、ビタミン1
1種、ミネラルは14種で、特にナトリウムが少なくてカリウムが多いってんだ
からな」そこで口を噤んだ兄さんは、くるりと回れ右をして薄暗い店の奥へと消
えてしまった。仕方なく八百屋を出て、大手有名スーパーまでとぼとぼ歩く。メ
ロンやマンゴの並ぶ棚の隅で、アボカドはひっそりと肩を寄せ合っていた。確か
に「熟れ方」が重要という点では果実に近い。が、熟したところで甘くもないし
酸っぱくもない、デザートに供されることもないのに果実と言ってしまっていい
ものか。ひとつ手に取ってみれば、まさに食べ頃。そのまま野菜売場へと進み、
静かそっと完熟トマトの棚に置く。真っ赤な山の頂で、ごつごつと黒光りするア
ボカドは、まるで手榴弾のよう……。くるりと回れ右をした私は、できる限りの
早足で一目散に出口へと向かった。
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読者投稿【わたしのオススメ】コーナーのお知らせ
みなさんのお気に入りの本、映画、音楽、芝居、飲み屋、雑貨、漫画など、
なんでもありのオススメ文を募集します。
字数は本文のみ(題名、名前、出版社などは別)400字以内
オススメの理由や感想など書き方は自由ですが、自分らしいものをお願いしま
す。一応その月の〆きりは毎月10日、構成その他の都合上、必ず載るとは限り
ませんが keito@k-hosaka.com まで、待ってます。
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■連載【稲村月記】vol.11 「微冒険」その2 高瀬がぶん
「ここを過ぎて悲しみの市」の巻
このタイトル「ここを過ぎて悲しみの市(まち)」だけを見れば、あるいはダン
テの「神曲」を思い起こす人もいるかもしれない。しかし、その下の写真と合わ
せて読み取れば、これが、太宰治の「道化の華」の冒頭の引用だと気づく人も少
なくないと思われる。
昭和5年(1930)、11月28日夜、当時22歳だった津島修治は、写真の
右手に見える小動(こゆるぎ)崎の岩場で、銀座のカフェの女給、田部あつみ(
19歳)とカルチモンという睡眠薬を服用して心中を図った。
その岩場というのは通称「畳岩」と呼ばれる場所で、今回の微冒険ではその現場
を見に行ってみよう、というものである。
この続きは以下のURLで。
http://www.k-hosaka.com/gekki/gekki11/gekki11.html
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春野景都【興味津々浦々】バックナンバーはこちらからどうぞ。
http://www.k-hosaka.com/inamura7/tutu.html
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■連載【興味津々浦々】vol.12 「ジャパニーズ・ガウンの巻(11)」春野景都
清水さんからの学会のお誘いは、
「4月23~26日インドネシアのジョグジャカルタで国際野蚕学会が開催され
ます。チョウ子さんと一緒に参加されませんか。クリキュラ虫の黄金繭も見られ
ますし、各種のバティック見られますよ。ジョグジャカルタは王室特別区で王様
と王女様の招待で食事をすることにもなっています。日本野蚕学会の会員の他に
も多数の方が参加する予定です」というものだった。一緒に入っていた詳しい資
料には、ジョグジャカルタでの学会の他にバリ島での、観光の予定も入ってい
て、バロンダンス鑑賞だとか、キンタマーニ高原散策、ウルワツでの夕日鑑賞だ
の、とても魅力的な言葉が並んでいる。
行くかどうかきめる前に、とにかく2月6日に有楽町の蚕糸会館で開かれるハイ
ブリッドシルク展’02に群馬から清水さんが来られるということなので、会い
に行くことにした。
有楽町について時間があったので、ちょっとふらふらっとしてたら、シネ・ラ・
セットで「アメリ」がやってるのが目についた。そういえば、こないだチョウ子
さんも「かわいかったわよー」と言っていた、しかも、レディースディで、安
い!あ、そうだ、ひとりで見るのもなんだし、保坂さんさそっちゃおうかなと思
ったけど、この時間じゃまだ寝てるだろうな、とかいろいろ考えながらお茶を飲
み、そして、シルク展の会場に向かった。
会場では相変わらず、優し気な笑顔の清水さんが立っていた。そういえば、清水
さんは漫画の「のらくろ」に似てる。清水さんのブースには群馬の養蚕試験場で
開発されたカラー繭の生糸で織られた、虹色に輝くまるで羽衣のような布地が展
示されていた。お世辞じゃなくて想像以上に美しい。
「こないだ見た他に、もう少し色の種類が増えたんですよ」
「この、羽衣みたいな布だったら、わたし、欲しいなあ」
夢見心地のわたしに、
「八王子に住んでる大原さんが織ったものでね、紹介しますから見にいってごら
んなさい。親子ニ代でやってるんだけど、これは、息子さんのほうが作ったんで
すけど、彼がまた、ハンサムなんですよ」
面食いのチョウ子さんに、さっそく教えなくっちゃ。若ければ、若いほど、チョ
ウ子さんは喜ぶけど、年までは聞けず、住所と電話番号を教えてもらった。他の
ブースでは、洋服や着物、ストールやマフラーの他に腹巻きや靴下、それに肝臓
やボケに効果があるというシルクパウダーなどの健康食品や石鹸まで並んでい
た。
入り口のところには、座繰り機が展示してあった。座繰り機は煮た繭から生糸を
からめとって巻いていくもの。わたしも大正時代のものを骨董屋で手に入れては
いるものの、もろもろの事情でまだ、一度も使っておらず、今は収集している小
さな瓢箪をかける場所になっている、まあ、これがちょうどお似合いなんだけ
ど。
お昼に清水さんにベトナム料理をごちそうになってから、また、会場に戻ってみ
ると座繰り機で実際の糸をとるところをやっていたので、頼んでわたしもやらせ
てもらった。
お湯に浮んでいる沢山の繭を、小さな箒(ほうき)のようなもので、すっすっと
無造作になでると自然に何本かの細ーい絹糸がからめとられ、それを数本まとめ
て繰り機のところに結んでハンドルをゆっくりまわすと、繭がお湯の中でとんと
んとんと回って糸がとれていく。
写真=http://www.k-hosaka.com/keito/kenshu.html
「もっと、はやくまわしても大丈夫!」
教えてくれる人がそういうので、調子に乗って猛スピードで回したら糸が切れて
しまい、
「それじゃあ、やりすぎ!」と叱られた。
それでも、そのうちにコツが飲み込め、つづけていると、自分が職人さんのよう
な気分になってきた。単純な作業のくり返しっていうのも、たまには気分がい
い、時間を忘れてしばし作業に没頭。
そのあと、結局ひとりで「アメリ」を見てから帰る。帰ってから保坂さんに電話
して聞いてみた。
「きょう、なにしてたー?」
「家にいたよー」
で、映画にさそうかなって思ったんだけど、と話すと、保坂さんは今は映画は見
ないことにしているか、映画が嫌いになったか、目が疲れて映画が見れないか、
そのどれかを言っていた。今日は3月19日だからもう、1ヶ月以上前のことになる
けれど、随分曖昧だ、ほんとに。保坂さんじゃなく、当然わたしのことだけど。
それから、二週間ほどして、椎野さんから、思いがけず資料が届いた。
「横浜赤レンガ倉庫、シルク&ポーセリアンミュージアムショップに向けて
-S.SHOBEY・増田窯」という企画書だった。中味を読んでみてびっくり!「イヤ
ー調子悪くてまだ、全然進んでないんだよー」なんてとぼけてたおやじさんはと
んだタヌキくんだったのね。
椎野正兵衛の店は桜木町にある赤レンガ倉庫跡にできるということ。赤レンガ倉
庫は横浜の歴史的建築物として保存されているもので、ファッションや演劇、映
画祭や美術展などの文化的なイベントを開催できる場所として、今、改造されて
いる最中で、新しく生まれ変わって4月12日にオープンするのだそうだ。
その企画書には、赤レンガ倉庫の計画概要からはじまって、S.SHOBEYのブランド
コンセプト、ブランドポジショニング、ブランドラインナップが示され、店のイ
メージ図まで細かくできあがっている。そのうえ、ミュージアムに対応して椎野
正兵衛の歴史が記され、なんと京都服飾文化研究財団の周防さんの文章や深井先
生の本のなかで使われているジャパニーズガウンの写真まで添えられているでは
ないか。当然、周防さんと深井先生には知らせているはずですよね、そうしてな
きゃ困るぞ。
参考文献にしても、全部チョウ子さんが調べたものばっかり、捺染工場にしても
深井先生、周防さんにしても、チョウ子さんや、友人のエムさんがいなくっちゃ
進まなかったはずなのだ。
チョウ子さんに電話して、このことを話してみると、案の定、この資料は届いて
いなかった。それどころか、
「わたしは決裂してもいいけどさ、けいとちゃんはエッセイ書いてるんだから、
それじゃ、困るでしょ。最後の力をふりしぼって、どうぞ、資料ぐらいは送って
やって下さいと、手紙書いたのよ」と言う。チョウ子さんの気持はうれしいけ
ど、なんだか複雑な気持。
椎野正兵衛のジャパニーズガウンを追ってから一年、どんな成りゆきになるの
か、どこにいきつくのか全く考えもせず、興味のおもむくままに、書き進めてき
て、わたしはいろんなことを知ることができた。日本におけるシルクに関わる様
々なことが、とっても身近におもしろく感じられて、それは今でも、たぶんこれ
からも続いていくんだろうけれど、正兵衛については終わりの予感。4月12日
お店は開店するけれどね。
いずれにせよ、最後に赤レンガ倉庫に行ってみよう。
ということで、例年にないほど、はやばやと桜の花も咲き出したとっても風の強
い日、桜木町へチョウ子さんと一緒に足を運んだ。倉庫をちらっと見てから、あ
とはもう違う話題でもりあがり、ひさしぶりに中華街でおいしいお茶を飲んで帰
ってきた。赤レンガ倉庫のことよりも中華街で売っていた「亀ゼリー」のことが
気にかかる。
そして、昨日、チョウ子さんから留守電が入っていた。
「エムさんがパリのコム・デ・ギャルソンのショーで、周防さんと深井先生に偶
然会ったそうよ」
つづく
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保坂和志が選ぶ・今月の【保板の殿堂入り】
1546「バイクで走ってると」(がぶん)バカ炸裂だから。
1556「望外の喜びです」(さかい)突然出したら何のことかさっぱりわから
ないだろうから。
1587「ネコなので。」(よ)レスのしのだがすごくしのだだから。
1588「生まれました」(そんちゃん)保板史上初出産。
1598「質屋のおばあちゃん」(けいと)資料的な価値があるかもしれないか
ら。
1599「ひぇ~~~~~!」(がぶん)レスがやたらと長いから。
1600「隠れてた独占欲」(りすたす)ちゃんと自分を見つめたから。
1603「長谷川等伯」(けいと)この突然の出会いがけいとらしいから。
以下のURLでどうぞ!
http://www.k-hosaka.com/henshu/mati/1546-1603.html
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■編集後記
北海道では入学式に桜が咲くなんていうことは経験したことがなかったので、こ
ちらで経験する桜の花に囲まれた我が子の入学式が、ちょっと不思議な感じがし
たものだけれど、それにしても、今年は卒業式に桜の花が咲いていてこれはもっ
と奇妙な感じ。そういえば、一年前のホームページの掲示板の書き込みに、桜は
人の血を吸えば吸う程、美しく咲く、だから、桜の名所ってお城が多いんだっ
て、というかなりいい加減なことをことを書いたような気がするんだけれど、ど
ういう訳か、やっぱり今年も、春になるとこのことを思い出して怖くなる。だか
ら、桜湯もあんまりすきじゃないし、桜餅も買う気にはなれなくて、断然、柏餅
のほうが好き。関係ないけど、御祝い事の時って「お赤飯」でしょ、北海道で御
葬式の時に「お黒飯」といって、小豆のかわりに黒豆の入った餅米のご飯を食べ
るの。親戚のおばさんは「お黒飯」が大好物で御葬式ではいつも皆の折り詰めを
集めて、大量に冷凍しておいて、普段、おやつによく食べてた。母親もそうだけ
ど、身近の人が春に亡くなってるので、この時期になると御葬式のこともよく思
い出しちゃうの。(けいと)
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*おくい君の連載についてのお知らせ
おくい君の「はやねはやお記」は、またゲスト劇場にもどります。「毎月決まっ
て載る」、というより、「ときどき載る」っていうゲスト感が今のおくいくんに
はあっているという判断からです。またよろしくね。
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2002/3/20 vol.13 メールマガジン【いなむらL7通信】13号
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