メールマガジン「いなむらL7通信」vol.01  2001.3.20号

対 談
保坂和志vs山田稔明
                      (ゴメス・ザ・ヒットマン・ボーカリスト)
          
       保坂和志氏                山田稔明氏
山田稔明データ
 本名同じ 1973.12.8 佐賀県鳥栖市生まれ 東京外語大卒(英米語専攻)
 高校時代から洋楽を聴き始め、大学では軽音楽部に所属し、一年の時には六つのバンドのメンバー を兼任することも。二年で、自分で曲を書き始め、同大学の学生ばかりで「ゴメス・ザ・ヒットマ ン」を結成。バンド名の由来は、当時の人気テレビ番組「とんねるずの生でダラダラいかせて」 
 で、スペインで闘牛をする企画があり、その中に出てくる牛が「ゴメス・ザ・ヒットマン・ロドリ ゲス」、曰く「何人ものマタドールをあの世に送った牛!」。これを聞き、「こいつは強そう!」 と思ったことから。
 97年から2年間はインディーズでCDづくりをしていたが、99年にメジャーデビューを果たす。 このころ初めて保坂和志の小説「猫に時間の流れる」を読み、いっきに保坂ファンになる。



 
保坂「初めて僕の小説を読んだのは二十五才ってこと?」
山田「はいそうですね」
保坂「二十前半くらいの人はあんまり僕の小説好きじゃないと思ってた」
山田「まず、最初の文章がなかな切れないで、、わー、まだ切れてない、っていうのが凄い衝撃で、あれ、ど  こまで続くのぅ! それなんか話し言葉みたい、というのがインパクトでした。自分で音楽を作るとき   に、ドラマチックな曲が好きじゃない、たとえば世紀末とか携帯とか、そんな歌詞がきらいで、そんなと  きに保坂さんの本が、特別事件も起こらなくて、このままこの小説終わらなければいいのになぁ、なん   て、特に『プレーンソング』とか『草の上・・・・』とか、このままずーと続けばいいのになぁ、なんて  すごく思う・・・・それで、出てる保坂さんの本全部読んだんです」
保坂「ははは、そりゃあどうもありがとう」
山田「それで、色んなところで、自分の歌詞がよく、風景描写がいいとか言われて、なんか本を読むんです   か、とかいわれて、ああ、僕は保坂和志さんが大好きで、って答えたりとか。一回は、保坂和志とか、と  いったら、やっぱり! とか言われたこともありました。HPも教えておきました。」
保坂「どうもどうも、http://www.k-hosaka.com ね」
山田「それから、雑誌『ダ・ビンチ』の『今一番逢いたい人』で保坂和志って言ったんですけど相手にされな  くて、で、マスノ(歌人・桝野浩一氏)さんにあって、何か渡したいものがあったらって言われて、で、  マスノさんに間に入ってもらって、ファンレターを託したんです。去年嬉しかったことのナンバー1の出  来事でした」
保坂「なんか照れるなぁ、そう言われると」
山田「誉め殺しみたいになってるけど、大丈夫ですかね?」
編集部「保坂さんのファンってこういう人多いよね」
保坂「やせてるタイプとか?」
編集部「そうじゃなくて! なんかこう、ずーっと思ってたみたいな」
保坂「ところがね、他の人と違って、ほんとにファンレターこないんだよね、、年に1通、いや0.8通くら   い」
編集部「去年は?」
保坂「HPがあったからきたみたいなもんで・・・・」
編集部「怖がられてるんじゃないの? 掲示板で突っ込むから」
保坂「そんなことないよ」
山田「そうですね。保坂さんのイメージが掲示板でけっこう鮮明になってきて、僕けっこう自分がいじわるな  もんで」
編集部「で保坂和志の印象は?」
山田「最初は春樹っぽいイメージがあったんですよ」
編集部「顔が似てるし・・・・」
山田「はははは、」
保坂「村上春樹のほうがやなやつだよね、きっと」
山田「ふふふ、僕、直接保坂さんと話したのが早稲田の講演会が終わったあとだったけど、その前に講演を聴  いてて『空調が効いてないんでコート着たままやります』なんていって、あー、面白いなんて思って、あ  の『もう帰るっ!オヤジ(保坂和志公式HP参照)』の時も面白かったし、それで、また小説を読み返し  てみると、すごい分かりやすいっていうか、勝手に近づいたって感じ。講演の内容と本が一致してて感動  だったりする。それで僕自身も、作品と人間性がイコールになろう、って思ってます。実際のこの歌とイ  メージ違いますねとか言われないようにしようと・・・・」
保坂「あの、『コブルストーン(COBBLESTONE)』っていうのは・・・・」
山田「はい、あれはアルバムですけと、僕はずっと僕で出てきて、君はずっとその君で、ある意味長編で、C  D全体に渡って話が続いて、去年の六月に出したやつで、話が完結するという、でもつくってるうちに、  やたらとドラマチックじゃない日常を書きたくなった。完結しないなぁ、って」
保坂「僕と君は別れてないんだよね、ずーっと一緒で、やっぱ歌っていうのは大変で、聴くこっちが多くのこ  とを期待してないっていうのは変だけど、だいたいこのへんの線かな、っていうところで、今まである歌  の中身で考えちゃうわけ。そのへんは注意して聞かなきゃいけない。本読みながら効いてたりすると、注  意しないと歌詞を聴きそびれるっていうところが歌の辛いところなんだよね。それは映画でも小説でもあ  って、読者が予想する展開っていうのがあって、その通り行くと嬉しい人がたくさんいるんだよね、世の  中に。だからそれを納得させる、っていうのは時間がかかる」
山田「そうですね、だからすごく分かりにくいもの作ったな、って思ってて、分かってもらうためには色んな  説明しなきゃいけないし、だから例えば、これが長編小説とか書いてないから、これは一曲目から最後の  曲まで全部つながってて、っていう説明をするんです。地方の人には直接話せないから、なんか分かりに  くいの作ったと思ってて、達成感はあるんだけど、色んなひとから「早すぎた」っていわれました。もっ  と売れてから・・・・。でも二枚目だからできたと思う。で、こんどはまったくコンセプトのないやつを  出そうと思って、僕はメッセージソング、応援歌みたいの大嫌いで、なんかそんな分かりやすいものにし  なきゃいけないのか、ライブとかやるようになって、ハンドクラップとか伝わりやすいんだなぁ」
保坂「ところで、あの『拍手手拍子』を録音してるとき、ほんとに、畑山、坂本戦を見てたの? あの伝説の  名勝負。こっちの掲示板で『凄かった、凄かった』って、書いてたら山田君も『いま、録音の合間に見て  興奮しました』みたいなこと書き込んで」
山田「はい見ました、ははは、あっ、耳から血が出てるみたいなぁ。もうコーラスしながら、ブースからで   て、どうなったぁ?、みたいな」
保坂「あの『コブルストーン』ってアルバムはどのくらいの期間で作ったんですか?」
山田「四ヶ月ですね」
保坂「歌はできてるわけでしょ?」
山田「はい」
保坂「じゃ、録音作業だけで四ヶ月かぁ、十五曲」
山田「四ヶ月ずーっとやってるわけじゃありませんけど、一曲に対する日数でいうと、一週間弱くらいですか  ね」
保坂「意外とかかるもんなんだねぇ」
編集部「山田さんの歌詞って、すっごく考えている感じがしますね」
山田「そうですね、自分で歌うから、十年後に聞いても恥ずかしくないようなものにしたいなぁって思って、  例えば今だったら、携帯の着メロとか最近出てきたものを歌詞に入れちゃったりすると、十年後にそれが  あるかっていったらまた違うものになっているだろうし、名前も変わってるかもしれないし」
編集部「じゃあ、小説なんかもメッセージ性が強いものはあんまり好きじゃない?」
山田「たまに、すごくドラマチックなものを読みたいなと思うと、宮本輝とか読んだりするんですけど、あん  まり泣いちゃったりするのとかは求めてないかもしれません」
保坂「やっぱりあの、それを聞いて育った曲ってのがあって、これからこういうのを作りたいみたいなのと合  ってるのってあるでしょ、これは小説にも一応あるんだけど、そのへんは?」
山田「十年後に聞いて恥ずかしくないのってのは、たぶんきっと、十年前にあったとしてもそれはそれで成立  しているものだろうなと思うんですよ。で、はっぴいえんどとか大瀧詠一とか聞いてて、なんでこんな三  十年も前の歌が自分の中に素直に入ってくるんだろうなぁ、って思ったりしまして、あれを聞いたあたり  から日本で歌詞を書きはじめたんで、それまではなんか、全部デタラメっていうかいい加減な英語で曲を  書いていたんですけど、それから小沢健二の最初のアルバムとか同時期に聞いていたんですけど、なんか  日本語ってかっこいいなって思ったんです。僕はずっと英語を勉強していて、英米文学を原書で読むと   か、毎日毎日英語の先生とかと英語を喋らなきゃいけないみたいな生活が一年間も続くと、なんかもう英  語はいいやぁみたいな気分になってきて、だからアマチュアの時は英語の歌詞も多かったんですけど、C  Dを作りはじめてからは英語を入れないようにしたんです。最初は日本語で歌うっていうのはものすごく  恥ずかしくて、でもその気になったのは、やっぱり小沢健二の影響が大で、実は小沢健二みたいになりた  いな、なんてこっそり思ってたりもするんですが(笑)、歌詞とかも小沢文法みたいなものが確実にあっ  て、あの人の出現から僕らJポップと呼ばれる連中の歌詞もすごい変わってきたと思うし、踏み絵みたい  なもので、自分で歌詞かいてて、わー、これ小沢っぽいなと思うと、泣く泣くボツにするし、こう呪縛が  あるんですよね、、僕だけじゃなくみんなそういうところあるんですよね」

保坂「うー、なんか言おうとしたこと忘れちゃったよ・・・・」
編集部「やー、調子出てきましたね、保坂さん」

山田「ところで保坂さんは今、書いてる最中なんですか?」
保坂「10月末から書き出してだいぶ書いたんですよ。ところが、去年は10月頭、11月頭、12月頭って三回  も風邪ひいちゃってさ、でだいぶ中断したんだけど、結局2月くらいから160〜70枚くらい書いたところ  で、どうしても一本幹が通らないことがはっきりしたんです。見切り発車で書きはじめたんだけど、ま、  いつもそうなんだけど、なんとかなるかな思ってたんだけど、どうしても幹ができてこなくて、でしょう  がないからこないだ、最初から書き直すことにしたんだけど、とにかく小説って、書けなくても原稿用紙  の前に座って、そういうときってのは他のことしちゃいけないんだよね。ワープロとかはいじれるからい  けなくて、書きかけの原稿用紙の前で何時間でも、ま四時間くらいぼーって部屋の外と眺めてるの」
山田「それは書斎から見える・・・・」
保坂「そう、とにかく、シチュエーションぐらいは断片を思いついたりするんだけど、でそれを無理矢理くっ  つけようとしてもくっつかなくて、でも自然にはくっつかないんだよね。無理矢理くっつけないと自然に  くっつくようにはならない。たぶん歌詞書くのと同じじゃないかと思うんだけど、不意に出るなんていう  運がいいことはなかなかなくて、やっぱり、考える体勢に入ってしばらく熟してないとダメなのかなぁっ  て気がする」
山田「そういうのっていうのは、さっき見切り発車っていいましたけど、ゴールとかは?」
保坂「あ、ぜんぜん分かってないね」
山田「そういうもんなんでしょうね」
保坂「あの一度だけね、『もうひとつの季節』書いた時に、150枚のうち70枚くらい書いたところで、後   半、茶々丸を返さなきゃいけない、って考えたら、その筋が決まったら、もうびっくりするくらい早く書  けた。いつもは筋もなんにもないから、もうほんとに、三日後に書くことなんか何にも見当ついてない。  ま、その日その日で書いてるのもあんまりかな、とは思うんだけどね。何書けばいいかって分かってれ   ば、『生きる歓び』が四日くらいで書いて、コミさんの話が一週間くらいで書いたかな。小説だとそんな  ことは何にも考えないで、というか、そうやる方針をとってるから、最初っからそうだったから」
山田「じゃ、今書いてるっていうのは、頼まれて書くというより自分が書きたくて?」
保坂「ええ」
山田「じゃ、枚数とかは制限がないと」
保坂「ないっすねぇ。ええとね、すごいおおざっぱな話をすると、『プレーンソング』が320枚、『草の上の  朝食』が360枚、『季節の記憶』が450枚で、長さっていうのはけっこう大事な何かなんですよ。何かが  増えるとか強くなるとか深くなるとか、なにか変化してないと今まで書いた以上の長さにならない。じ   ゃ、450枚書いたから今度は600枚くらいって思うんだけど、これがここのところずうっとあんまり小説  家のような生活してないんだよねオレがね。エッセイとかばっかりで。小説家の生活ってやっぱりそれじ  ゃないと思うんだけど・・・」
編集部「歌詞の場合はすごく短いセンテンスで色々なことを伝えなければいけないでしょ? そのへんの苦労  なんていうのもありますか?」
山田「はい、だから絶対的に説明不足になるっていうのが分かっているんで、どうせならもっと分からなくし  ちゃえとか・・・・僕は分かってるけど、それをあえていちいち説明しない。でも音楽ってのは分かりや  すいほうがいいって言われて、こないだも実家に帰って親にも言われました」
保坂「ははは、親は色々いうよ」
山田「新しい曲ができたっていって、お正月に親といっしょにそれを聞いたんですが、親が『わけわから    ん!』って(大笑)。で、『あんたね、テレビとかではもっと分かりやすい歌がいっぱい歌われてるでし  ょ、それをアンタは、変に外語大とか出てるからって、頭にいいのは分かったから、でもそのレベルをち  ょっと下げて』とか、いちいち言うんですよ。でも親がテレビ聞いていたのがたまたまサザンの『TSU  NAMI』だったんですよ。でも、『世は情け、オーマイディスティニー』ってとこで、これ分かるかぁ  ぁ、って思ったりして、それは結局、数売れたらそれはちゃんとした意味というか、分かった気持ちにみ  んななるんだろうなって思うし、だから別に分かりにくくてもいいんじゃないかな、って思うんです」
保坂「あとね、歌っていうのはメロディとリズムと音色とあるけど、歌っていうのはすごいもので、あのう、  キング牧師のスピーチっていうのは歌なんだよね全部ね。アイハブアドリームサンデーって、白い子と黒  い子が手をつないで一緒に山を登って・・・とかって、それもほんとにリズム乗ってこうやって喋って   て、あれって、黒人解放とか平等になるプログラムなんか何にも喋ってないんだよね、でも、それで勇気  づけられて具体的なアクションを始める人たちはまた別にいてさ、で、具体的なプログラムをスピーチで  喋ってもそんなに影響力なんて期待できなくて、で、下手な人がキング牧師みたいなこと喋っても、日本  の政治家みたいに空疎な演説になるだけで、あの人は歌だからああなれたんだよね。言葉とメロディとか  がシンクロすると、分かんない者にも分かった気になっていく、入っていくんだよね」
山田「なんかそれすごいある気がします。繰り返し聴いていたら言葉覚えちゃって、そういうことで分かった  気になったりするんだと思うし、歌詞を書くときに一番考えるのは、母音のア行とかイ行とか、何を歌っ  たら一番気持ちがいいんだろうか? とか、だから歌詞ありきよりも発音ありきで、で、『饒舌スタッカ  ート』っていうサビは『あいまいなピントが』っていう歌詞なんですけど、『あいまい』の『あい』って  いうのが、何のあれもなく、一番最初の『あいうえお』の『あい』だし、舌でどうやって子音を出さなき  ゃいけないとかないから、自分で歌っててすごい気持ちいいんですよね。あと、一番最初の歌い出しをア  行にするとか、そういうのはすごい意識して考えます。『イエーッ!』というとすごい気持ちいいのと一  緒で『あい』って歌うとすごい気持ちいいとか、いい声が出るとか、そういうのが最初にあって、それに  合わせて言葉作ってゆくんですよね。僕は曲が先で歌詞があとからっていうのはまったくやらなくて、も  う全部一緒に、だから、目的が見えないっていうか、気分しだいで、時間がやたらかかったり、勢いがよ  ければすぐに出来ちゃうし、ほんとに発音とかにすごく左右されて言葉を書いているっていうことがあり  ます」
保坂「いまテレビで流れる歌聴いていると、色々手法があるでしょ。サビのところで英語を使うとか、韻を踏  むような、愛情,感情、純情みたいな、そういうの並べるような手法が全部古臭いんだよね。まだこんな  ことやってんのって、つい思うわけ。メロディはメロディで、いいメロディていうのは既に古臭いんだよ  ね。だから、アバはヒットしても、アバと同じようなメロディやられると、まだこんなことやってのか   よ、って思うわけでしょ。だからいまね、小説もいま何なってもそういう縛りがあって、まだそんなこと  やってんの、って思うようなのがある」
山田「だからなんか、新しいものは作れないんじゃないかってのが自分の中にあって、だから新しいものを作  ろうとか思ってないし、みんな色んな事考えていて、何かが流行ったらそれをすぐに取り入れるやつはい  っぱいいるし、でもそういう人たちがいるから、普通の言葉が通用するのかなぁ、っていうのもありま   す。最近ラップを作ったんですけど、韻を踏んでると気持ちいいんですよ、だから、あ、こういうのは気  持ちいいんだろうなと思いました。自分で聴いて、カッコいいと思いましたよ(笑)。僕はすごいたくさ  ん曲を書ける人間じゃないというか、一曲作り始めるとそれが終わらないと次にいけないから、調子がい  いときはぼんぼん作れるんですけど、結局僕らなんて普通の恰好してやるバンドだから、ビジュアル系み  たいに、現実離れしたことを書くなんていうことはできないんで、それこそ日々の暮らしの中で言葉を選  んでゆくと、結局曲がすごい似通ってくるというか・・・・」
保坂「曲が似てるっていうのは、ストーンズだって似てるわけだし、結局ものを作る人っていうのはモチーフ  は一個か二個くらいしかないんじゃないかって思う。それでもやっぱり自分なりに変える程度で、それ以  上に出ようとすると、なんか違うものになっちゃう。僕もこの書き方すれば書けるっていうのがあるんだ  けど、それはしたくないっていうか、やる気が出ないんだよね」
山田「だから、自分の暮らしの中で何を書いてないかなぁって考えたときに、あ、いままで全部一人称で書い  てきたな、っていうのがあって、じゃあ今回それを三人称で書いてみようと思って、僕っていうのを排除  して、『饒舌スタッカート』でも僕は出てこなくて、なんかそれは自分の中ですごく新しかったんです。  なんか『僕はこう思う!』っていう風には伝えないっていう。僕の歌詞に出てくる風景っていうのも、い  わば普遍的なもので、例えば大阪で聴く人は大阪の風景を思い浮かべればいいし、東京の人は東京の風景  を、つまり自分のまわりにある風景を思い浮かべればいいわけで・・・・そういうつもりでやったんだけ  ど、何人かは『あれはモデルはどこなの?』って聞いてくるけど、それはどこでもいいですよ、ていう」保坂「それはあの、個人の中にある普遍みたいなもんで、春のうららの隅田川的普遍さとは違うんだよね。あ  れは、その人の体験と関係ない普遍と言われているものでさ」
山田「なんかこう、子供時代に過ごしたところとかがヒントになってるんで、レトロみたいに感じるかもしれ  ないですね。それと、小説なんかを読んで勇気づけられました、なんていうことがあるように、歌にもそ  ういうのがあるわけで、こちらが単に風景描写を歌っていても、受け取る側がどう受け取るかっていうの  は自由で、それを否定することはないわけで、それで明日から生きる勇気がわいてきましたっていえば、  『あ、そういう風に思った、ありがとありがと』って。『拍手手拍子』なんかでは、これは取材の段階の  話しですが、沖縄に『予祝(よしゅく)』っていう行事があって、これは、なんかめでたいことがあった  から祝うんじゃなくて、これからくることのために祝おうっていうイベントっていうか、そういう感じを  受けた、ってある人に言われて、あ、予祝ね! これはもらい!、って」
保坂「うーん、いいなぁ、予祝」
山田「うち(GOMES)のファンもけっこう保坂さんの小説読んでると思うんですが、猫から入るとすごく入りや  すいし、で、猫の描写がかわいい!、っていってそれで終わる人も絶対いるかもしれないけど、それもぜ  んぜん間違っているとは思わないっていうか、色んな読み方があっていい」
保坂「『プレーンソング』で書いた猫っていうのが、初めて猫を飼って猫を見ながら書いた小説で、読み直し  てみて、自分が知ってることがあれでいっぱいいっぱい、それで、『草の上の朝食』を三年後に書いて、  読み直すと、知識がだいぶ増えたなって思う。『季節の記憶』には猫は出てこないけど、それはそう決め  たからなんだけど、その後は、もう平気で猫出してるね。もう人間と猫を出すのはまったく同じ感覚なん  だよね。猫がよく書けてるとか言われるけど、それは文章力じゃなくて観察力、よく見てるから。でも、  猫の表情を見てなにが言いたいか分かるっていうのが問題で、これは同じ動物っていう進化の系にいるか  ら分かるっていう。威嚇、脅えた顔、気持ちいい顔とか、それは筋肉の弛緩とかで共通してるわけで、い  ままではそういうことなしに、ただ人間も猫も悲しい顔をするって、理論の裏づけがないんだよね」
山田「猫なんかでも、膝に乗って来たりして、あ、慣れてきたなこいつはって思ってて、ちょっと用があっ   て、ごめんね、とか言いながら降ろしてちょっと経つと、今度は炊飯ジャーの上に乗ってたりして、なん  だ足が冷たかっただけか、なんて、なんかこう猫の考えてることは分からなくて、思い通りにはならない  っていう。それと猫はみんな自分が親だと思ってる説があって、例えばすずめを半殺しにしてもってきて  くれて、喰え喰え、みたいな、でそれを捨てると、せっかくとってきてやったのにみたいな表情をする」保坂「だからそういうときは食べるフリをする・・・・」
山田「でも猫はきれいな生き物だと思う、いま飼ってないんですけど。『コブルストーン』を書いているとき  は、ワープロで書いてたんですけど、通い猫が一匹モニターの上でいつも寝てて、たぶんあったかいから  なんですけど、すごい救われる気持ちで・・・・なんかその猫が自然と歌詞に登場したりします。なんか  こう癒されるんで、癒し系の動物ですよね、猫って」
保坂「ハムスターで癒される人もいるしね(笑)」
編集部「さて、そろそろ時間のようですので、このへんでお開きにしたいと思います」
保坂「そか、じゃ、ゴメス・ザ・ヒットマン、これからも頑張ってね!」
山田「はい、ありがとうございます。今度は是非一度ライブにいらして下さい」
保坂「うん、いくいく」
編集部「本日はありがとうございました」