もどる


インタビュー 女優・友里千賀子さん
                     
by/けいと

 
 


「みんなのおかげで生きている、ひとりじゃなんにもできないもの」
はじめてお会いして話している時に、友里さんが何気なくおっしゃった一言が今でも心に残っている。23年前、NHKの朝の連続テレビ小説「おていちゃん」で女優として一躍脚光をあび、その後、テレビ、映画と活躍を続けて、最近は舞台が中心、といっても常にマイペースな友里さんは、現在鎌倉で、変わり者の御主人(友里さん談)と亀のようにおっとりとした最愛の「ウィ−ビー」と楽しく暮らしている。ちなみにウィ−ビーは犬である。ウィ−ビーも連れていけるところということで、友里さんのいきつけのカフェ「あおい」でお話をうかがったのだが、「あおい」は鎌倉妙本寺の山門近くにあり、テラスで飲むコーヒーは最高に気持よく、友里さん曰く、「ここのケーキは絶品」だそう。「哲学者の顔をした道化者」と言われるように、とぼけた表情でなにか考え事でもしているような雰囲気のフレンチブルドック、ウィ−ビーはインタビューの間中、しっかりと友里さんにだっこされたまんまで、時々うたた寝をしたりして、ちょこちょこと顔をみせる猫たちに動じる様子もなく、まるで、人間の赤ちゃんのようだった。友里さんと初体面といっても、わたしとしては何十年も前からテレビでその姿を 知っているせいか、なんだか、妙ななつかしさまで湧いてきて、その上、「とっても性格のいい子だよ」と保坂さんとがぶんさんから聞いていたので、緊張することもなく、ざっくばらんにお話することができたのだが、友里さんは、ほんとに、うわさ以上に素敵な方だった。
鎌倉で生まれた友里さんは小中高一貫の女子ばかりの私立に通い、大学は桐朋学 園の演劇科。特に女優になろうと強く思っていたわけではなかったが、中高と体 育ダンス部に所属し、舞台で自己表現するのが好きだったと言う。20歳の時、俳優座の映画放送部に入り独立プロの映画「月山(がっさん)」(森敦原作)に出演する。その時の演技は池波正太郎に大絶賛されたほどだったそうなのだが、実際の撮影では「もっと、山の子らしく歩きなさい」となんどもやり直しさせられたそうだ。「月山」の撮影中にNHKのオーディションがあり、なんとなく受けたら受かってしまい、なんとなく「やめます」と言ったら、「もう、主役発表の記者会見もきまっているからだめ!」と言われ、それから半年間、友里さんはおていちゃんとして過ごすことになるのだ。
「おていちゃん」は沢村貞子の自伝的なストーリー。脚本が寺内小春で、当時、視聴率が50パーセントを越える程の人気で、NHKの朝の連続テレビ小説を見る習慣のないわたしでも、「おていちゃん」はしっかりと見た記憶が残っている。「半年間は物理的に大変でしたが、たのしかったです。すごい人って、側にいてその空気を感じないとわかんないんだなあと思いました。沢村貞子さんもほんとに素晴らしい方ですが、落語家さんや俳優さんなど、あのドラマに関わったすごい人たちからいろんなものをいただきました」
80歳で女優を引退なさって東京のお住まいから海の見える横須賀にうつられた沢 村貞子さんとは、ずっとおつきあいが続いていたそうなのだが、沢山の本を読み、様々なことに興味を持ち、考え方から行動まで、常にバイタリティあふれ、 死に方まで沢村さんらしさを貫いた生き方そのものを尊敬しているのだそうだ。
こどものころから、本を読むのが大好きで少年少女文学全集とかこども古典文庫などかたっぱしから読んでいて、ケストナーはもちろんジイドなども読んでいたし、徒然草も好きだったという友里さん、いったいどこで、保坂少年と出会った のでしょうか?
「保坂君とは、小学校6年の時、塾で出会ったんです。いつもまーちゃんという背の高いすらっとした子と一緒にいて、保坂君はチビだったけど、いつも一番前の席で背中丸めて勉強してたんですよね。とにかく算数がよくできて、もう、先生にひいきされまくってたほどお気に入りでしたね、でも、国語はあたしのほうがよかったんですよ、あ、そうそうその頃の保坂君って「クオレ」にでてくる鍛冶屋の息子の挿し絵に似てたの。たぶん鍛冶屋だったと思うんだけど、違うかな、ちょっと自信なくなってきちゃった。もう一度、「クオレ」読み返してみようかな」。
「クオレ」を読んだことのない方は少年少女文学全集かなんかで探してみて下さい。セーターのそで口をデロデロに伸ばして、真っ黒な消しゴムを使っていた保坂少年に、もしかすると会えるかもしれません。ところで、友里さんが言うには、そのころ、ほとんど保坂さんとは話したことがないということ。それなのに、聞いていると、「下北沢で一緒に食事した」とか、「北海道のおみやげをもらった」とか、「舞台を見に来てくれた」とか、けっこう、おつきあいがあるようなので、いったいどこからどんな風なおつきあいで、なんてつっこんでお聞きしても、「それがどうしてなのかよくわからないんだけど、なんとなくずっと、つきあい があるって感じで、でも、特に、頻繁に会うわけでもないんだけどね」とくったくのない笑顔で答える友里さん。
「20歳のころに会った時に、この人、きっと小説家になる、と思ったことがあったんですよ」
変な邪推は抜きにして、ほんとにいい友達なんだなあと思う。
現在、友里さんは、名古屋中日劇場で舞台の真っ最中。10月は帝劇で行われていたこの「質屋の女房」では森光子さんの妹役。
「森さんは81歳なんですが、再来年のスケジュールもびっちりつまっていて、一緒に舞台にたっていても、ほんとに、信じられない程お若いんですよ。同じ空間を共有できることがしあわせです」
 舞台は残らないからこそおもしろいという友里さん、たくさんのスタッフの方と 一緒につくりあげる舞台を心から楽しんでいる。ただ、帝劇も中日劇場でも、ひとつの舞台は一ヶ月続く。楽しさだけではやっていけない苦労もたくさんあると思うのだが、風邪もめったにひかないという友里さんに健康の秘訣をお聞きした。
「うーん、あんまりなんにも考えないことかな」と軽く答えた友里さんが後日わたしにメールを下さった。
「私が何故元気なのですかと聞かれましたよね。たぶん、自然やいろんな人間からいっぱいパワーを貰っているんだと思います。私、死ぬってことに子供の頃から恐怖心がないの。だって怖がっている時は生きていて、死んじゃった後はもう死んでるんだから死が来る事を怖れる事もないでしょう? 私は毎日が幸せで、 嬉しいの。特に40代になって楽になったせいでしょうか、時々涙が出ちゃうくらい幸せです」
わたしは読んだ後、なぜか胸が熱くなった。たくさんの言葉をつくしても説明できない友里さんの姿をこのメールが伝えてくれたような気がする。

*

(インタビュー中に現れた猫ちゃんたち)

もどる