その5

「梅は咲いたか、なんだまだかいな」



(掲示保板で話したことなんで、もういいよという人は読み飛ばして下さい)

宇宙には1立方平方メートルあたり水素原子が平均1.0~1.2個ぐらいしかなくて、それよりもうちょっと多ければ引力が働いて宇宙はいつか縮んでいってビッグクランチを起こし、逆に少なければただただ膨張しっぱなしの宇宙、というわけらしいけど、いずれにしても宇宙っていうのはあまりにも空いているところだということが分かる。その点、地球あたりはひどく混んでいるわけで、だからいろんな出来事が偶然に起こる。そうなのだ、真の真空(変な言い方だけど)では出来事と言われるものはなにも起きないのだ。そもそも出来事っていうのは素粒子のぶつかり合いがあって初めて起こるわけで、真空中に何やら「存在」の大きな秘密があるというような説もあるけど、もしその秘密が暴れたとしたら、たぶん、そこはホントの真空中じゃなかったというような話になるんじゃないかと思ってる。
だからあの日、もしこの世が真空だったら、瑞泉寺であの二人とは出会わなかったということになる。
その日の朝、けいとさんが瑞泉寺の梅を見に行こうと言い出したので、バイクに乗って出かけた。実は2週間くらい前にも行ってるんだけど、そのときはまだ2分咲きぐらいなもんで、ちっとも面白くなかったので、よし、今日こそは! という思いがあった……少なくともけいとさんにはあった。ま、僕はそんな意気込みなんかなくて、そうね天気もいいし行ってみようかぐらいの感じ。
瑞泉寺について山門奥の石段を登ったところに、石碑があって、「松陰吉田」と縦書きで彫られているのを見て、あーあれあれ、こないだ掲示保板で話題になった……ん? でもなんで、ショーインヨシダなんだよ、外国人? と不思議で仕方なかったけれど、特にその謎を解明する手だてもなく、その気分をそこに置き去りにして、いよいよ梅! なんだよ5分咲き? そうか、こんなに暖かくなってもまだ
咲かねぇのかおまえらは。けいとさんはきっとまた家族と来るだろうけど、おれはもう来てやらないからなと、梅どもに引導を渡して庭の東屋のベンチに腰掛ける。そこはたぶん藤棚の下で、そんな作りになっているんだけど、藤ってのはいつ咲くのかな? と思いつつ天井の格子あたりを見ると、そこに一匹のリスが現れた。そいつはまたえらく人懐っこいリスで、ベンチに腰掛けていた5〜6人のすぐ鼻先ぐらいまでやって来て、「なんだよ、なんかくれないの?」みたいな顔をして、チャチャチャと柱を登ったり降りたり、それはまた可愛いらしいったらありゃしない。
その様子を写真におさめようと前にいたカップルの男の子の方がカメラを構え、ズーッとリスに寄って行き…そのときつい僕が「バリゾー!!」と声をかけた。そうそう極楽月記に出てきた、ドラム缶に入って溺死しちゃったあのバリゾーのことで、リスなんかもともとどれもこれもそっくりで、どのリス見てもたぶんバリゾーと叫ぶに違いない僕の性格からして、ここも「バリゾー!」と。
そしたら、カメラを構えていた男の子がふっと顔を上げて、
「がぶんさん!?」
突然名前を呼ばれて、
「おー、そうだよがぶんだけど……」
と、その「……」のところで僕の想像力はグルグルと駆け巡り、だいたいの結論は出ていた。
すると彼が、
「バリゾーっていう声につい反応しちゃって」と。
やっぱりそうだった。
「ははは、極楽月記見たんだね?」
隣の女の子はなんだかわけも分からず、彼に向かって、
「お知り合い?」
「ううん、ぜんぜん知りません」と彼。
「そうだね、ぜんぜん知りません」と僕。
そうなるとますます彼女の方はとんちんかんだ。
加えて僕がけいとを指さし、
「で、これがけいとさん」
「うんうん」みたいな納得してる様子の彼。
するとけいとさんが、
「あらぁ、うちのホームページ見てる人なのね?」
「はい、よく見てるんですが掲示保板にはまだ一度も書き込んだことがありません」
つまりこういうことだった。
僕ががぶん@@編集室にアップした浄妙寺の梅の写真を見て、彼はなんだか梅が見たくなって隣にいる彼女を電話で誘ってここへやって来た。誘われた彼女は彼女で、彼の誘いとはまったく関係なく、今日この日にご主人と一緒に瑞泉寺に梅を見に来ることを決めていて、たまたま彼から電話があったので、それはちょうどいいから一緒に行こうと…で、今日一緒に来るはずだったご主人は都合が悪くなって、彼と二人でやってきたということだった。
さてそこで、目の前の男が突然「バリゾー!」と叫び、リスをそんな風に呼ぶのは世界中でたぶんただ一人、あのがぶんさんに違いないと確信し、一瞬ためらったということだけれど、やっぱり「がぶんさん?」と僕に声をかけた。
いやぁ、これは案外すごい偶然だと僕たちはびっくり(けいとさんの分)びっくり(僕の分)。
ところで話はそれだけでは終わらなかった。
「ところで君たちはどこから来たの?」
「えー、ぼくは吉祥寺からです」
「あ、そう」
「はい、吉祥寺ではよく枡野浩一さんをお見かけするんですが…」
「へー、そう、じゃ声かければいいじゃん」
「ははは、HPではよく見てますけどまったく知らない人なわけでして」
「そりゃそうだ。でも今度あったら、こないだがぶんに会いましたとか言って話しかけてみたら?」
「…はい」
こりゃ話しかけないなと内心そう思ったところで彼女のほうが、
「私は鎌倉なんですよ」
「あらそうなの?」とけいとさん。
「そうなんです、大町の方に住んでます」
で、僕が、
「大町かぁ、すると『バナバナ』あたりとか?」
(注)『バナバナ』とは僕がよく行くマハロデリに客として出入りしている人がやってるカフェで、じつはこの前日も『バナバナ』でコーヒーを飲んできたばっかしだった。それにこの店は、けいとさんが鎌倉山で開催してる「ひなたBOOKクラブ」で、よくランチを頼むのだ。けいとさんのお気に入りはポップアップサンドイッチと言って、すごくおいしいのだよ。もっともお気に入りと言ってもバナバナにはケーキやコーヒー以外にこれしかメニューがないってのが惜しいんだけどね。
「え〜、『バナバナ』知ってるんですかぁ? 実は『バナバナ』の隣で『箸』っていうお店をやってるんです。私じゃなく両親がなんですけど。で、『バナバナ』のマスターとはメル友なんですよー』
すると彼のほうが、
「僕も『バナバナ』には行ったことがあります。去年の大みそかは彼女も一緒に『バナバナ』で年を越しましたから」
「あらら、宇宙は狭いよねぇ」
そんなこんなで偶然が重なり、みんなびっくりびっくりびっくりな一日であった。
その日の夜のこと。
部屋でぼーっとしてると隣の小野君がやってきてコーヒーなどを入れてくれていた。
そこで今日の出来事の一部始終を話していると…。
「へー、そうですかぁ、でもあれです。僕はきっとその二人に会ってますね」
「げっ、なんでよー!」
「だって、去年の大みそかの夜、僕も『バナバナ』にいましたもん」
「……きゃー、ぐーぜん!」
「大勢いましたから誰が誰だかは分かりませんけどね…」

話はこれで終わりだけれど、
ま、この話はけっこうな偶然で、こういうことは確率的に起こりにくいんじゃないかと思ったわけだけど、その場合の確率っていうのはいったいどんな式でどういうふうに計算できるのだろうかと…なんと言っても算数が苦手な僕であった。

写真の男の子は「もっちーくん」
向かって左の女の子は「ながえちゃん」 



向かって右は「けいとさん」、、って知ってるよね。




end