オヤジさんが続ける。
「とにかくよー、あの心中事件の時はてぇへんだったみたいだぜ。おれのオヤジの時代だったんだけんど、なにしろ仲間内の漁師が発見して、オヤジも出てって、二人をそこの恵風園にかつぎ込んだんだそうだ」 現場のすぐ近くの海岸道路を挟んだ所にその恵風園はある。もともとサナトリウムだったのだが、一番近い病院ということで、そこに二人はかつぎ込まれた。もっとも田部あつみはすでに亡くなっており、太宰一人だけが助かったというわけだが・・・・。 小説「道化の華」は、その病院のベッドで療養する太宰自身がモデルとなって始まる。小説では江の島袂ヶ浦での入水自殺ということになっているが、実際は、そもそも江の島にそんな地名はなく、ましてや入水もしておらず、小動崎の畳岩での服毒自殺である。 敢えて小説と現実に差をもうけたところが、なかなかしぶい。ある種の照れ隠しか、それとも罪悪感なのか。 ところで太宰と田部あつみが服用したカルモチンという睡眠薬は、太宰の常備薬だった。二人は同じ量だけ飲んだということだったが、太宰は助かり一方だけが死に至った。おいおいふざけるなよ太宰治。どれだけ飲んだら死ねるか死ねないか、そんなことくらい、はじめから分かっていたんじゃないの? それに、自分より体が小さい彼女が死んでしまうであろうことも。 |
とにかく現場に行ってみようと思い立ち、岩場を伝い歩くが、岩場が途切れ、そこから先は泳いで渡るしかない所に出てしまった。しかし、よく見れば何とかなりそうな足場が、ちょこっとだけある。うーん、一歩間違えれば海にドッポーン!だし、どうしたものかと悩んだが、ひょっとして岬の反対側の腰越漁港から廻って行けば足場があるのではないだろうか? もしなかったとしても、テトラポット伝いに行けば、現場の正面に出られるのではないかと思いついた。 |
オヤジさんとおかみさんにお礼を言い、おみやげに獲れたてのメカブを山ほどもらって、バイクにまたがった。 |
そして、三分後には腰越漁港にいたが、残念ながら、やっぱり現場まで岩伝いに歩いて行けそうにはなかった。そこで、漁港の突堤からテトラに飛び移り、見かけより案外大変な思いをしながら、それでも、ようやく現場の正面に立つことができた。
あそこだあそこだオヤジさんの言っていた畳岩(太宰印の写真参照)。 そーか、あそこで太宰は心中未遂を・・・・。 でもやっぱり、本気じゃないよな。 だって、太宰は、この自殺未遂の翌月にはもう、小山初代と仮祝言を交わしているのだから・・・・。 その翌日のこと。
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