数千人の命が奪われてゆく様をリアルタイムで眺めながら、これっぽちも涙なんか出なかったくせに、一匹の猫の死骸を前にしただけでこんなに涙が出るとは、これが「自分と世界との関り合い」の限界だと思うとなんかとても切ない気分になる。
この写真を撮るほんの数十分前までフクちゃんは生きていた。家の目の前の道路で車に跳ねられて死んだのだけれど、ボクはその時熟睡していて事故があったことさえ気付かなかった。
玄関の方から「高瀬さ〜ん! 高瀬さ〜ん!」と二度ほど呼ぶ声がして目を覚まし、それが聞き慣れない女の人の声だったので、町内会費の集金かなにかだろうと思いつつ、寝ぼけ眼をこすりながら薄暗い廊下に立った。
玄関を開けて入って来たのは、どうやら二人らしいのだが、逆光でそれが誰かは分からない。
「高瀬さんは、猫を飼ってらっしゃいますよね?」
そう声をかけられたからというわけではないが、足元に擦り寄ってきたすみちゃんを抱きかかえながら玄関に向かった。
「あのう、茶色い縞の猫を飼ってらっしゃいますよね?」
「え、はい」
そう問いかけてきた人物にやはり見覚えはなかったのだけれど、近所の主婦には違いなく、向こうもたぶんボクには見覚えはなく、猫たちを知っていたのだろうと思われた。
もう一人の方の女性が言う。
「あの〜、チェックの首輪をしてました?」
その後の話はもう聞かなくても分かるような、そんな二人の態度だった。
「ええ」
「じゃ、やっぱりそうだわ」
「今さっき、お宅の目の前の道路でその猫ちゃんが跳ねられたらしいんですよ」
「・・・・」
「かわいそうにねぇ」
道路わきの縁石の上で日向ぼっこをしているように横たわっているフクちゃんは、耳から血を流しているだけで、タイヤに轢かれたという感じではなかった。ほぼ生きている時の姿のまま、けれど確実に死んでいた。
「さっき保健所の方に連絡しちゃったんで、あとで取りに来るということになっているんですけど、どうしましょう? そのまま来てもらった方がよろしい?」
「それとも電話で断っておきましょうか?」
「あ、はい、すみませんが断っておいていただけますか。この子は庭に埋めますんで」
抱きかかえるとまだ体がぐにゃりと柔らかく、生きている時よりもずっと重たくなっているフクちゃんを玄関まで連れ帰り、濡れタオルで血をふき取り、ひとしきり体をなで回してから庭に穴を掘り始める。
フクちゃんに何が起こったのか分かっていない様子のすみちゃんだけれど、いつもなら近づいただけでフーッと言われるはずなのに・・・・、という疑問だけはあるらしく、その間ずっと興味深気にボクのまわりを廻ったり、動かなくなっているフクちゃんの体の、あっちこっちの匂いを嗅いだりしていた。
首輪を外し穴の底にフクちゃんをそっと置き、土をかけ、赤レンガをひとつその上に乗せた。
かけた土が薄かったせいか、赤いレンガがぼわぼわと揺れた。
すみちゃんが匂いを嗅いでいるその首輪は、まだ悲しいほどに暖かい。
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